そんなにはなり得ない。
一般的に物質的技術的手段は人間が世界を改造し変革していくうえで大きな役割を果たす。
科学技術が飛躍的に発展し、コンピューターやロボットなど先端技術手段が出現して工場のオート化、無人化が実現されている今日の現実は、自然と社会を改造し変革するうえで物質的技術的手段がいかに大きな作用をしているかを実証している。
ところがこのような事実を通してブルジョア御用学者たちは、人間が先端技術手段に自らの地位を奪われ、無力な存在に転落したといいながら、人間の果たす決定的な役割を否定しようとしている。これは正常的な思考ではとうてい納得できない詭弁である。先端技術手段が果たす役割がいかに大きいとしてもそれは、人間の果たす決定的な役割にはたとえられない。世界の改造変革に物質的技術的手段がいかに作用し、またそれがいかに大きな威力を発揮するかというのは、人間によって左右される。例えばコンピューターが生産工程を自動調整し、またロボットが一瞬に自動車を組立てるといっても、それはあくまでも人間が作ったプログラムがあってこそ可能になったことである。このように考察すれば人間に代わる物質的技術的手段がいかに多く動員されても、世界を改造し変革するうえで決定的な役割を果たすのは、あくまでも人間である。
それゆえ物質的技術的手段の役割の増大が、決して世界の改造発展における果たす人間の決定的な役割を否定する根拠とならない。