人権は自主的に、創造的に生き発展しようとする社会的人間の神聖な権利であり、真の人権の体現者は人民大衆である。
人民大衆が真の人権の体現者となるのは、人権を要求するのも人民大衆であり、それを実現するのも人民大衆だからである。
人民大衆は勤労する人々を基本にして自主的要求と創造的活動の共通性によって結合された社会的集団である。自主的に、創造的に生き発展しようとする人間の本性的要求は人民大衆の要求と直結しており、人民大衆の闘争によって実現される。
歴史的事実が示しているように各時代に人民大衆が勝ち取ったすべての権利は、彼らの志向と要求によって提起され、彼らの長期間の血のにじむ闘争によって成されたものである。
人民大衆の要求によって提起されず、彼らの闘争によって実現されない権利は真の権利となれない。
人民大衆が真の人権の体現者となるのは、人民大衆の権利のみが真の意味における人権となるのと関連する。
どの階級、どの社会的集団が認め、主張する人権が真の意味における人権であるかというのは、主にそれが社会共通の要求と個別的構成員の要求をいかに反映し実現させるかによって規定される。
社会的集団である人民大衆の要求は社会共通の要求を代表し、社会的集団の各構成員の要求とも一致する。
それゆえ、人民大衆の要求によって提起され実現される人権は、集団の要求と集団を成す個別的構成員の要求をともに実現する真の意味における人権となる。
反動的な集団は人民大衆の自主性を蹂躙し、個人の利益のみを追求する搾取階級によってなされている。搾取階級が「人権」として提起する要求は社会共通の要求と完全に異なり、個人の自主的要求を抑圧し踏みにじる反人権的要求である。
搾取階級と人権は絶対に両立できない。