こんにち、社会主義偉業を確固と守り成功裏に前進させることが、人類の運命にかかわるきわめて重大な問題となっています。
近年、一部の国で社会主義が挫折して資本主義が復活し、最近ではソ連が解体してその存在を終えました。こうした事態に対し、帝国主義者と反動派はあたかも資本主義が「勝利」し、社会主義が「終末」を告げたかのように喧伝しています。これは、事態の真相を正しく把握していない一部の人のあいだに思想的混乱を引き起こしており、世界革命の発展に深刻な悪影響を及ぼしています。こんにちの事態から教訓を汲みとり、新たな基礎のうえに立って社会主義運動を再建し、社会主義偉業を高揚へと導くことがさし迫った歴史的課題となっています。
社会主義偉業は人民大衆の自主性を実現する正当な偉業であり、人類が社会主義へ進むのは阻むことのできない歴史発展の法則です。社会主義の発展過程に紆余曲折はあっても、歴史発展の方向が変わるものではありません。一部の国で社会主義が挫折した事実をもって、歴史の流れが変わったかのように喧伝し、社会主義の理念は誤りであり、社会主義革命を行ったこと自体が過ちだというのは、帝国主義者と社会主義背信者らの反動的な詭弁です。
人民大衆は長いあいだ、搾取と抑圧のない自主的な新しい社会を願望し、その実現をめざして困難なたたかいを展開してきました。その過程で社会主義・共産主義学説であるマルクス主義が発生し、それを指針にしてたたかった結果、十月社会主義革命が勝利しました。その後、社会主義は世界的規模に拡大し、社会主義諸国では歴史的に短い期間に、資本主義のもとでは数百年かかっても達成できなかった大きな社会的・経済的発展を遂げました。このような歴史発展の過程は、社会主義理念が正当であり、社会主義が資本主義と比ぶべくもない大きな優越性をもっていることを示しました。
それでは、社会主義の道を進んでいた一部の国で、こんにちに至って社会主義が挫折し、資本主義が復活している現象をいかに見るべきでしょうか。
社会主義への道は新しく開拓しなければならない前人未踏の道であり、帝国主義との鋭い対立と闘争のなかで前進しなければならない厳しい革命の道です。そのため、社会主義の前進途上に難関と試練がないはずはなく、予想外の事態が発生することがあります。一部の国での社会主義の挫折と資本主義の復活は、歴史発展の主流から見るとき、部分的で一時的な現象に過ぎません。しかし、われわれはこれを決して偶然な現象と見なすことはできず、また、これが単なる外的要因によるものであるとばかり見なすこともできません。
社会主義を建設していた一部の国で社会主義が挫折した根本的な原因は、一言でいって、社会主義の本質を歴史の主体である人民大衆を中心にして理解していなかったために、社会主義建設における主体の強化と主体の役割の向上の問題を基本としてとらえることができなかったところにあります。
社会主義社会は人民大衆が主人となった社会であり、一つに統一・団結した人民大衆の創造力によって発展する社会です。人民大衆が主人としての高い自覚と能力をもち、同志として団結してたたかうところに、あらゆる搾取社会と区別される社会主義社会の本質があり、社会主義社会の発展を促す原動力があります。そのため、人間改造を優先させ、人民大衆を共産主義的に教育して党のまわりに固く団結させ、革命の主体を強化し、大衆の革命的熱意と創造力を最大限に発揮させて主体の役割を高めることが、社会主義建設を成功裏に推進する根本的な方法となります。社会主義建設を推進するには、これ以外にはいかなる妙策もあり得ません。しかし、一部の国の人たちはこの真理を正しく理解できませんでした。
社会主義制度の樹立後、社会主義建設をいかなる原理にもとづき、どのような方法で推進するかという問題が、社会主義建設を指導する党にとって新たに解決すべき歴史的課題として提起されました。この問題は、従来の共産主義理論の歴史的制約性をいかに克服するかという問題とも関連する重要な問題でした。
マルクス主義は、労働者階級が歴史の舞台に登場し、資本に反対する闘争を展開していた時期に出現した革命学説であり、搾取階級と搾取制度を一掃し、人民大衆の階級的解放を実現するうえで不滅の貢献をしました。しかし、時代は変化し歴史は発展するため、マルクス主義も歴史的制約性をもたざるを得ません。マルクス主義は一言でいって、唯物史観にもとづいて労働者階級の階級的解放の条件を示した学説だと言えます。マルクス主義は社会発展の過程を自然史的過程と見なし、生産力の発展にともなって生産関係は発展し、生産関係の総体である経済制度が当該社会の土台をなし、その土台のうえに上部構造が成立するという理論を提示しました。これにもとづきマルクス主義は、物質的富の生産様式が社会の性格と社会の発展レベルを決める決定的要因であり、社会の発展過程は階級闘争によって生産力と生産関係の矛盾が解決され、古い生産様式が新しい生産様式にとって代わられる過程であると見なしました。このような原理からマルクス主義は、社会主義的生産様式が確立されれば、資本主義から社会主義へ移行する社会革命は終わるものと見なし、共産主義の高い段階と低い段階の違いは生産力の発展レベルの違いに帰着するため、社会主義制度が樹立された後に経済建設を進めて生産力を発展させさえすれば、人類の理想社会である共産主義を実現できると見なしたのです。結局、マルクス主義は、社会主義制度の樹立後、革命を継続して社会主義・共産主義社会をいかに建設すべきかという問題については正しい解答を与えることはできませんでした。歴史的に見て、マルクス主義は社会主義偉業の前段階の要求を反映した思想・理論であって、社会主義・共産主義建設の具体的方法の提示を当面の課題として提起することはせず、当時としてはまだそれができる社会的条件も、実践的経験もありませんでした。
社会主義制度の樹立後、社会主義・共産主義を成功裏に建設するためには、社会主義建設を指導する党が当然、社会主義の新たな発展段階の要求に即して共産主義理論を発展させ、それにもとづいて正しい路線と政策を樹立すべきでした。しかし、これまで社会主義を建設してきた一部の国の党は、この歴史的課題を正しく解決できませんでした。そのため、マルクス主義を指導指針とする社会主義建設を唱えて従来の理論の歴史的制約性には目を向けず、それを教条主義的に適用したかと思えば、他方ではマルクス主義の革命的真髄を否定し、修正主義的な政策を実施する道に走りました。
従来の理論に対する教条主義的理解から脱却できなかった人たちは、社会主義社会の本質と優越性が社会主義思想をもった人民大衆によってではなく、社会主義政権と社会主義的所有関係によって決まると見なし、社会主義建設の推進力も生産力と生産関係の適応という経済的要因に求めました。もちろん、社会主義政権が樹立され、生産手段に対する社会主義的所有関係が確立されれば、人民大衆に主人の地位と役割を保障し、生産力を急速に発展させる社会的・政治的条件と経済的条件は整います。これが資本主義に対する社会主義の大きな優越性です。しかし、こうした政治的・経済的条件そのものが社会主義社会の発展を促す決定的要因になるのではありません。生産力発展の問題にしても、生産力の発展において主動的で能動的な役割を果たすのは生産の直接的担当者である勤労人民大衆であり、彼らの自発的熱意と創造的能力を高めることなしには、たとえ社会主義的生産関係を樹立したとしても、生産力を絶えず急速に発展させていくことはできないのです。
社会主義思想をもった人間と社会主義政権、社会主義経済制度は密接に結びついており、ここで基本となるのは社会主義思想をもった人間です。社会主義制度が樹立される歴史的過程を見ても、搾取と抑圧に反対するたたかいの過程でまず社会主義思想が生まれ、この思想をもった人々が革命的な党を組織し、党が人民大衆を意識化、組織化して社会主義政権を打ち立て、そのあとで社会主義政権に依拠して社会主義経済制度を樹立するのです。社会主義経済制度は社会主義政権を抜きにしては、維持することも、その本性に即して管理することもできず、また社会主義政権は社会主義思想をもった人間を抜きにしては、維持することも、その本性に即して自らの機能を遂行することもできません。こうして見れば、社会主義社会の発展とその運命を決める決定的要因は、あくまでも社会主義思想を体得した人民大衆であることが明らかになります。ところが一部の国では、国家主権と生産手段を掌握して経済建設さえ進めれば社会主義が建設できると考え、人々の思想・意識レベルと文化レベルを速やかに高め、人民大衆を革命と建設の主体としてしっかりと準備させる人間改造に第一義的な力を注ぐことはしませんでした。その結果、社会主義社会の主人である人民大衆は主人としての役割を果たせなくなり、結局は経済建設も順調に進まず、社会のすべての分野が停滞状態に陥ってしまったのです。
かれらはまた、社会主義社会本来の要求に適応した人民的な政治方式の確立に相応の注目を払うことができなかったため、人民の統一・団結を弱め、大衆の創意を高く発揮できなくしてしまいました。社会主義社会で人民大衆が政治の真の主人となり、国家と社会の管理に主人として参加するかどうかが、社会主義制度の強化、発展と社会主義建設の成果を左右するもっとも重要な問題です。しかし、一部の国では社会主義政権は樹立したものの、実際には旧社会の政治方式をそのまま踏襲したため、国家と社会の管理はその主人である人民大衆から離れて特定な人たちの活動となってしまいました。そのため、官僚主義が増長して人々の創意を抑制し、党と国家に対する大衆の信頼を失墜させ、人民大衆の統一・団結を破壊するという重大な結果がもたらされたのです。
結局、それらの国では社会主義が自己発展の強力な推進力を失い、強固な社会的・政治的基盤をもつことができなくなりました。強固な主体が存在しない社会主義は、その優越性と威力を発揮することはできず、前進途上における挑戦と試練に打ちかつことはできません。歴史的事実は、強力な軍事力と膨大な経済的潜在力をもつ大国であっても、社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなければ、帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に耐えられず崩壊するしかないことを示しています。それらの国が帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に屈し、社会主義の挫折を招いたのは、まさに社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなかったためにもたらされた必然的結果と見るべきです。
一部の国で社会主義が挫折した原因はまた、社会主義と資本主義の質的な差異に目を向けず、一貫して社会主義の根本的原則を堅持しなかったところにあります。
社会主義偉業を最後まで成し遂げるためには、革命と建設において終始一貫、社会主義の原則を堅持しなければなりません。人民大衆の自主的要求と利益をあくまで擁護し具現することが、社会主義建設において一貫して堅持すべき根本的原則です。社会主義社会は、人間による人間の搾取と抑圧を一掃し、ともに自主的に生きようとする人民大衆本来の要求を具現した社会であり、社会主義・共産主義建設の過程はとりもなおさず人民大衆の自主性を完全に実現していく過程です。したがって労働者階級の党は、社会主義建設の指導において人民大衆の自主的要求と利益を断固として擁護し、革命と建設におけるすべての問題をあくまでも人民大衆の根本的利益に即して解決していかなければなりません。
人民大衆の自主的要求と根本的利益に合わせて社会主義を建設するためには、労働者階級の党を組織的、思想的に強化し、革命と建設に対する党の指導を確固と保障し、社会主義政権の機能と役割を絶えず高めるとともに、社会主義的所有を固守し、発展させ、帝国主義と断固たたかっていかなければなりません。これは、いささかも譲歩することのできない革命的原則です。社会主義を建設する過程で一時的に過ちを犯すことはあり得ますが、人民大衆の運命に責任をもつ労働者階級の党は、いかなる状況においても社会主義の根本的原則を絶対に放棄してはなりません。社会主義・共産主義建設の過程では革命闘争の環境と条件が変わるので、それに合わせて路線と政策を創造的に発展させなければなりませんが、いかなる場合にも、こうした革命的原則、労働者階級的線から離脱してはなりません。革命闘争の環境と条件は変わることはあっても、社会主義の根本的理念と要求は変わるものではありません。社会主義か資本主義かという闘争において、革命的原則を放棄することはとりもなおさず投降と変節を意味します。
かつて社会主義を建設していた一部の国の人たちは、社会主義に対する信念が弱く、労働者階級的立場が確固たるものでなかったため、社会主義建設の過程での一時的な難関を前にして動揺し、帝国主義者の圧力に屈し、やがて革命的原則を譲歩し放棄するようになりました。それらの国では、労働者階級の党を強化する活動をおろそかにし、党の指導的役割と社会主義国家の統一的な指導機能を弱めた反面、資本主義的な所有関係と経済管理方法を導入し、帝国主義とたたかうのではなく、無原則に妥協する道に走りました。こうした修正主義政策の結果として社会は次第に変質し、社会主義の「改革」、「改編」と称して「多元主義」を導入した結果、社会主義の変質過程はいっそう加速していきました。
社会主義社会では、「多元主義」は容認されません。「多元主義」が標榜する思想における「自由化」、政治における「複数政党制」、所有における「多様化」は、個人主義と自由主義にもとづく、生存競争の支配する資本主義社会の政治方式です。社会主義は集団主義にもとづく社会であり、人民大衆の統一を生命とする社会であるため、社会主義と「多元主義」は両立しません。社会主義社会に「多元主義」を導入すれば、個人主義と自由主義が助長されて社会共通の利益が侵され、人民大衆の統一と団結が破壊され、社会的無秩序と混乱が生じるようになります。社会主義社会で思想の自由化と政治における複数政党制を容認することは、結局、社会主義社会の基盤崩壊と人民政権の転覆をはかる反革命的策動に道を開くことになります。思想分野の闘争は政治闘争の序曲であり、それは政権闘争に発展するものです。歴史的経験は、思想が自由化されて反社会主義的思想潮流が流布し、「複数政党制民主主義」が容認されて反社会主義政党の活動が許されれば、階級の敵と反動派が頭をもたげて反社会主義策動を行い、労働者階級の党を政権の座から引きずり落とすようになることをはっきりと示しています。現代修正主義者が資本主義に対する幻想にとらわれて社会主義の原則を完全に放棄し、資本主義的な政治方式と経済制度を全面的に導入する道に進んだ結果、社会主義は挫折し、資本主義が復活することになったのです。社会主義の原則からの一歩の譲歩と後退は、十歩、百歩の譲歩と後退を招き、結局、労働者階級の党そのものが破滅せざるを得ない重大な結果をもたらすことになりました。
一部の国で社会主義が挫折したのはまた、社会主義国の党同士の関係において、自主性にもとづく国際的連帯を強めなかったことにも起因しています。
自主性にもとづいて団結、協力し、国際的連帯を強めながら自主性を堅持することが、社会主義国の党同士の関係において守るべき基本的原則です。自主性は国家と民族の生命です。社会主義・共産主義は国家と民族を単位として建設され、個々の国の革命はその国の党と人民が責任をもって進めることになります。自国の実情に即した路線と政策を立て、それを自主的に貫徹するのは、なんぴとも侵すことのできない各国の党の神聖な権利です。個々の国の党が自主性を守るのは、決して他国の党との国際的連帯を強めることと矛盾するものではありません。社会主義偉業は個々の国の人民の民族的偉業であると同時に、国際的偉業でもあります。各国の共産党、労働者党は自らの自主性を守る権利を有すると同時に、他国の党の自主性を尊重し、社会主義偉業の勝利のために同志的に団結して協力すべき義務を担っています。
国際共産主義運動内には大きい国の党と小さい国の党があり、歴史の長い党とそうでない党もあります。大きい国の党は小さい国の党よりも大きな力をもっており、したがって共同の偉業の遂行により大きく寄与できることを否定するものではありません。大きい国の党であるほど、国際共産主義運動を固守し発展させるうえでより大きな責任を自覚すべきであり、兄弟党に私心のない援助を与え、共同の偉業の遂行においてより大きな役割を果たすのは当然なことです。だからといって、大きい国の党が大国主義に走ることは許されません。党同士の関係においては、地位の高い党と低い党、指導する党と指導される党というのはあり得ないのです。国際共産主義運動においては国際的な中央があって、各国の党がその支部として活動した時期は久しい前に過ぎ去りました。社会主義諸国の党は当然、完全な平等と自主性の原則にもとづいて同志として協力すべきなのですが、これまで一部の社会主義国の党は、コミンテルンが存在した時期の古い関係の遺習から脱することができず、国際共産主義運動の発展に大きな弊害を及ぼしました。ある国の党は国際共産主義運動の「中央」を自称し、他国の党にあれこれと指示し、自らの誤った路線に従わなければ圧力をかけ、あえて内部問題に干渉するといった行動に出ました。その結果、社会主義諸国の思想的統一と同志的協力関係ははなはだしく弱まり、団結した力で帝国主義に立ち向かうことができなくなったのです。一部の国の党は、主体性をなくして大国主義的な圧力に屈し、他人の指揮棒に従って動いたため、大国が修正主義に走ればいっしょに修正主義に走り、また、他人が「改革」や「改編」をすれば、それをそのまま受け入れるようになりました。その結果、ソ連と東欧諸国で社会主義がドミノ式に挫折するという重大な事態が起きるようになったのです。
歴史的経験は、社会主義に対する確信と正しい指導思想をもって革命の主体を絶えず強化し、いかなる環境のもとでも社会主義の原則を固守し、自主性にもとづく同志的団結と協力を強めていくとき、社会主義偉業は勝利の道を前進するが、そうしないときには紆余曲折と挫折をまぬがれないことを示しています。これは、人類が社会主義へ進む過程で得た深刻な教訓です。
偉大な領袖
社会主義・共産主義建設に関するわが党の総路線は、人間中心の社会・歴史原理にもとづいています。
社会とは一言でいって、人間が集まった集団です。人間が社会的財産をもち、社会的関係で結ばれて生活する集団がすなわち社会なのです。社会の主人はほかならぬ人間であり、人間は自主性、創造性、意識性をもち、自らの運命を自主的に、創造的に開拓していく社会的存在です。人間の自主性、創造性、意識性の発展レベルによって社会の発展レベルは決まり、人間の自主的な思想・意識と創造的能力の向上にともなって社会的財産は増大し、それに合わせて社会関係も発展していきます。それゆえ、社会は物質的条件を基本にしてではなく、人間を中心にして考察すべきであり、社会の発展過程は自然史的過程としてではなく、社会的運動の主体である人民大衆の自主的で創造的な活動の過程として考察すべきです。
こうした見地からすれば、共産主義社会とは、すべての人があらゆる束縛から最終的に抜け出して、自然と社会と自分自身の完全な主人となる社会であると言えます。共産主義社会では、社会の全構成員は人間の社会的本性に合った自主的な思想・意識と創造的能力を全面的に備えた完成した社会的人間となり、生産力は社会生活の各分野で人間の自主的で創造的な活動を物質的に十分に保障できる高いレベルに達することになるでしょう。これによって社会関係は、全社会が一つの社会的・政治的生命体をなし、個人と集団の自主性がともに実現される完全な集団主義的社会関係となるでしょう。一言でいって、共産主義社会は人民大衆の自主性が完全に実現される社会です。社会主義社会は共産主義社会の低い段階です。
社会主義・共産主義を建設するためには、社会主義革命が勝利し、社会主義制度が樹立されてからも革命を継続して行くことが必要です。
社会主義・共産主義建設において共産主義社会の実現が最終的目標だとすれば、社会主義制度の樹立はその出発点となります。社会主義革命が勝利し、社会主義制度が樹立されたというのは、社会主義政権が樹立され、社会主義的生産関係が確立して、人民大衆が主人となった新しい社会の骨組みが出来上がったことを意味します。社会主義制度の樹立は、人類社会発展の見地からすれば大きな歴史的変革となりますが、社会主義・共産主義建設の路程からすればその第一歩に過ぎません。社会主義制度の樹立によって生まれたばかりの社会主義社会は、共産主義的性格を帯びた新しい社会であると同時に、古い社会の遺物を多分に有する過渡的な社会でもあります。したがって、社会主義制度が樹立されたのちに、社会主義・共産主義を成功裏に建設するためには、社会主義社会の共産主義的性格を発展させ、その過渡的性格を克服していく原則で、人間と自然と社会の共産主義的改造を力強く進めていかなければなりません。
社会主義を建設するためには、人間改造を促進して、人々を国家と社会の主人としての責任と役割を果たす共産主義的人間につくり上げ、自然改造を力強く推し進めて、社会主義的生活を物質的に保証できる強固な土台を築くことが必要です。それとともに、すべての社会関係を社会主義社会の要求に即して改造し、社会主義的な国家・社会制度を完成しなければなりません。こうすることで、社会主義的な主体が確立し、社会主義の物質的・技術的土台が強固に築かれたとき、そして社会生活全般を社会主義的方式で管理、運営していけるようになったときに初めて、社会主義は自らの完全な姿を備えたことになると言えます。
社会主義制度が樹立されたのち、第一義的に解決すべき根本的問題は、人々の思想・意識と創造的能力を高めて、人民大衆が国家と社会の主人としての責任と役割を果たせるようにすることです。
社会主義制度の樹立によって国家と社会の主人となった人民大衆が主人としての責任と役割を果たすためには、主人の地位と役割に相応する高い思想・意識と創造的能力を身につけていることが必要です。社会主義制度の樹立後、人民大衆が備えるべき思想的・精神的品格と資質は、それ以前の時期と質的に変わったものでなければなりません。古い搾取制度をくつがえし、社会主義制度を樹立するためにたたかうときは、搾取と抑圧に反対する強い階級意識と闘争精神をもつことが重要でしたが、社会主義建設をめざすたたかいにおいては国家と社会の利益を個人の利益より重んじ、そのために献身する集団主義思想をもつことがもっとも重要な問題となります。また、古い搾取制度をくつがえすには反動的支配階級の反革命的暴力を打ち破る闘争力をもつことが重要でしたが、社会主義を建設するには自然と社会関係と人間自身を共産主義的に改造する能力をもつことが切実に求められることになります。社会主義制度が樹立されたのち、人々が集団主義思想をもたず、個人所有を集団的所有より重んじ、共同の労働に熱意を示さなかったり、国家と社会の主人としての高い創造的能力を備えず、国家管理と経済管理が正しくできなくなれば、社会主義社会は事実上、主人のいない社会となり、そういう状態では社会主義はその優越性を発揮することも、また発展していくこともできません。
人民大衆に社会主義社会が求める高い思想・意識と創造的能力を身につけさせるためには、思想革命と文化革命を力強く推し進めなければなりません。思想革命と文化革命によって、人々を古い思想と文化的後進性から解放し、共産主義思想と高い文化レベルに達した共産主義的人間につくり上げる人間改造が行われます。
思想革命は、人々に自主的な思想・意識を身につけさせ、社会主義・共産主義社会の主体をつくり上げる事業であり、人間改造の基本をなします。人間改造は本質において思想改造です。わが党は文化一般から思想を分離し、思想・意識がすべてを決定するという思想論を示しました。思想・意識がすべてを決定するというのは、人間の行動を決める決定的要因が思想・意識であるという意味です。
人々の思想・意識はおのずと改造されるものではありません。思想・意識を単なる現実世界の反映と見なし、社会制度が変わり物質的条件が変われば人々の思想・意識もそれにともなって変わると考えるのは誤りです。客観的条件の変化は人々の思想・意識の発展に一定の作用を及ぼしますが、社会主義制度が樹立され、物質的富が増大したからといって、人々がひとりでに共産主義的思想をもつようになるわけではありません。搾取と抑圧がなくなり、物質生活が豊かになるほど、それに合わせて思想教育をさらに深めていくことが必要です。そうしなければ、かえって人々の革命性は弱まり、安易に暮らそうとする安逸な思想傾向が次第に増長するようになります。人々の頭のなかから利己主義をはじめあらゆる古い思想を根こそぎにし、人々に共産主義的な革命思想を体得させることができるかどうかによって、社会主義建設の成果と社会主義の運命は左右されます。物質万能の原理が作用する資本主義社会ではカネが生命であるとすれば、人民大衆が主人となっている社会主義社会では、思想が生命であると言えます。人民大衆が社会主義思想を体得し、それにもとづいて一つに団結すれば社会主義は勝利し、人民大衆が思想的に病めば社会主義は滅びます。資本主義社会に対する社会主義社会の優越性はまさに思想の優越性であり、社会主義の威力はとりもなおさず思想の威力です。それゆえ、思想革命をおろそかにするのは、社会主義建設において生命線を見落とすにひとしいことです。
わが党は、社会主義建設のたたかいで思想革命をもっとも重要な課題とし、思想革命を確実に優先させる原則を一貫して堅持しており、革命と建設の前進にともなって思想革命を絶えず深化させています。
思想革命の遂行において基本となるのは、すべての人にわが党の革命思想、チュチェ思想を体得させ、それにもとづいて全社会の思想的統一を確実に実現することです。
社会の全構成員に一つの革命思想を体得させ、それにもとづく思想的統一を実現することは、社会主義社会本来の要求であり、社会主義を成功裏に建設するうえでもっとも重要な問題です。人々の階級的立場がまちまちであり、利害関係が対立している資本主義社会では、人々の思想を一つにすることは不可能であり、社会の思想的・政治的統一について考えることはできません。資本家階級はむしろ勤労者の思想的自覚と統一・団結を妨げるために、意識的に雑多な反動思想を流布します。しかし、社会主義社会ではすべての人が社会主義・共産主義を志向する共通の目的と利害関係をもっているため、社会の全構成員に共産主義的革命思想を身につけさせ、それにもとづいて全社会の統一・団結を実現することができ、またそうしたときにのみ革命の強固な主体を築き、主体の役割を絶えず高めることができるのです。
革命の主体はほかならぬ領袖、党、大衆の統一体であります。わが党は思想革命の遂行において、人々の革命的領袖観と組織観、大衆観を確立し、全人民を党と領袖のまわりに結集させ、運命をともにする一つの社会的・政治的生命体につくり上げることに中心を置いています。
革命的領袖観、組織観、大衆観に関する思想は、革命の自主的主体に関する科学的解明にもとづく独創的な思想です。
領袖は社会的・政治的生命体の中心であり、人民大衆の意思を体現した
朝鮮人民の栄えある闘争史は、卓越した領袖の賢明な指導があり、人民大衆が領袖の指導に忠実に従えば、革命偉業は必勝不敗であることを実証しています。日本帝国主義支配による暗澹たる時期、朝鮮人民は解放闘争に立ち上がりましたが、最初のうちは真の人民の領袖を迎えることができなかったため、無駄な血を流さなければなりませんでした。朝鮮人民は、偉大な領袖
党は社会的・政治的生命体の中枢組織です。人民大衆は党の指導のもとでのみ、生命の中心である領袖と組織的、思想的に結びついて社会的・政治的生命をもち、革命の自主的主体をなすことができます。そのため、すべての人が領袖を中心とする社会・政治組織を自らの政治的生命の母体と見なし、組織の一員として革命偉業の勝利をめざして組織的にたたかうよう教育することが重要です。
革命の主人はあくまでも人民大衆です。領袖はほかならぬ人民大衆の
人々が社会的・政治的生命体の一員として革命にあくまで忠実であるためには、正しい領袖観、組織観、大衆観を身につけていなければなりません。革命的領袖観、組織観、大衆観は、チュチェ型の共産主義的革命家の基本的表徴です。そのため思想革命では、すべての人を党と領袖に限りなく忠実で、人民大衆に献身的に奉仕するよう教育することに基本を置くことが必要です。
思想革命を強化して人民大衆を革命的に教育し、革命の主体をしっかりと築いておけば、いかなる状況にあっても社会主義建設を成功裏に推し進め、社会主義偉業をしっかりと守ることができます。わが国では、党の正しい指導のもとに思想革命が成功裏に推進された結果、全人民がチュチェ思想を体得し、党と領袖のまわりに固く団結し、革命と建設の主人としての責任と役割を忠実に果たしています。朝鮮人民は革命を進める人民としての高い誇りと自負を抱いて、社会主義を建設する誇りに満ちたたたかいにすべての力と知恵を尽くしており、彼らのあいだでは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために!」という集団主義的原則で助け合い、導き合いながら、革命的に働き生活する共産主義的気風が高く発揚されています。こんにち、人民のあいだでは、かげひなたなく、ひたすら社会と集団のために、党と革命のために黙々と一生をささげて献身的にたたかう隠れた英雄と隠れた功労者の隊列が日を追って増えており、彼らを見習う運動が社会的に力強く展開されています。これは、朝鮮人民の思想的・精神的品格がいかに高い境地に達しているかを如実に物語っています。領袖、党、大衆が生死と運命をともにする一つの社会的・政治的生命体として結合し、全社会が一つの革命的大家庭をなしているのが、われわれが誇りとするわが社会の真の姿です。全人民が党と領袖のまわりに鉄の如く団結し、自信と楽観に満ちてたたかい生活しているところに、わが国の社会主義の強固さと不敗性の源があり、いかなる波風と試練にも打ちかち、チュチェの革命偉業を最後まで成し遂げることのできる確固たる保証があります。
文化革命は、人々を古い文化の束縛から解放し、人民大衆に奉仕する社会主義文化を創出して、すべての人が社会主義的な文化生活を享受できるようにする事業です。搾取社会では、人民大衆が文化的に早く発展できる十分な条件と可能性を整えられないため、文化レベルは総体的に低い状態にあります。そして、少数の特権層が勤労者大衆を搾取し従属させ、退廃的な享楽をむさぼるのに奉仕するブルジョア反動文化は、麻薬のように人々の精神をむしばみ、健全な文化生活を妨げるきわめて有害な作用を及ぼします。人々の生活と慣習に長いあいだ深くしみ込んで伝わってきた古い文化の残りかすを一掃し、社会主義的な新しい文化を確立する活動は、資本主義と社会主義との原則的なたたかいでもあります。社会主義制度が樹立されたのち、文化分野での革命を続けなければ、人民大衆を文化的後進性と非人間的な古い文化の束縛から解放して高い創造的能力の持ち主に、真の社会主義的な文化生活の享受者にすることはできません。社会主義文化を発展させることは、帝国主義者の思想・文化の浸透を成功裏に防ぐ重要な条件となります。帝国主義者は他国に対する侵略と支配を実現するために、まず反動的ブルジョア文化を浸透させて、その国の民族文化を抹殺し、人民の民族自主意識と革命精神を麻痺させる戦略を追求しています。社会主義文化をりっぱに開花、発展させ、人民が社会主義的文化生活を十分享受できるようにして、社会主義文化が資本主義文化を圧倒してこそ、人々が腐りきったブルジョア文化に惑わされることはなくなり、帝国主義者の思想・文化が浸透してくることもなくなります。
文化革命遂行における重要な戦略的目標は、社会全体をインテリ化することです。人間改造の見地からすれば、社会主義・共産主義を建設する過程は社会の全構成員を革命化、労働者階級化する過程であると同時に、インテリ化する過程でもあります。革命化、労働者階級化が人々の思想・意識レベルの格差をなくす事業であるなら、社会全体のインテリ化は、社会の全構成員を高い知識レベルと文化的素養を身につけた共産主義的人間に変えて文化レベルの格差をなくす事業であると言えます。社会主義制度が樹立されて階級的対立関係が一掃された後は、すべての人を革命化、労働者階級化するとともに、インテリ化する方向へと進むことが必要です。社会主義制度の樹立によって、インテリは労働者階級と同様、国家と社会の主人となり、社会主義的勤労者として労働者階級と同一の社会的・階級的基盤をもつようになります。しかし、インテリと労働者階級は、労働生活における特性によって互いに区別される特徴をもっています。もともと、無産者として搾取と抑圧に反対する闘争を通じて革命の指導階級に成長してきた労働者階級は、強い革命性と組織性をもっていますが、インテリに比べて文化・技術レベルは低く、一方、インテリは労働者階級より文化・技術レベルは高い反面、革命性と組織性は弱いのです。労働者階級とインテリのこのような格差は、社会主義建設が進捗して社会全体が革命化、労働者階級化され、インテリ化されることによって最終的になくなります。共産主義的人間改造は結局、人々を自主的な思想・意識と高い創造的能力を備えた、全面的に発達した人間に変える事業であり、社会の全構成員を労働者階級化されたインテリ、インテリ化された労働者階級にする事業です。
文化革命で第一に力を入れるべき重要な問題は、教育事業を発展させることです。教育事業は社会主義・共産主義建設の成否と民族の将来を左右する根本的問題の一つです。そのため、わが党はつねに教育事業を重視し、それに大きな力を注いできました。われわれは解放後、人民に教育の権利を与え、非識字者をなくし、次世代のための学校を建てることから新しい祖国の建設を始め、生死を決する厳しい祖国解放戦争の戦火のなかでも教育事業を中断しませんでした。われわれは戦禍を取り除き、社会主義革命と社会主義建設を推進する困難な状況のもとでも、全般的無料義務教育制を系統的に実施し、学校教育と社会教育を結びつけ、働きながら学ぶ教育制度を発展させて、新しい世代と勤労者が誰でも国家による教育の恩恵を受けられるようにしました。われわれは祖国と民族の将来のために万難を排して努力して、勤労者の文化レベルを全般的に高等中学校修了程度にまで引き上げ、それを踏まえて現在は社会全体をインテリ化する高い目標を掲げ、その実現をめざして奮闘しています。
わが党は教育事業において革命的原則を一貫して堅持しています。社会主義教育は人々に単に知識や技術のみを習得させる実務的事業ではありません。社会主義教育の使命と任務は、人々を党と革命のために、祖国と人民のために身をささげてたたかう革命的人材に育てることによって、共産主義偉業の遂行に寄与することです。わが党は、教育事業で主体性を確立し、党性、労働者階級性、人民性を具現し、教育と革命実践を結びつけることを社会主義教育の重要な原則とし、それを貫徹してきました。わが党の正しい教育政策によって、わが国では新しい世代が思想的に堅実で、実用的な知識と実践能力を兼備したチュチェ型の共産主義的人間に育成されています。社会の全構成員が幼いときから老人になるまで一生のあいだ勉学し、教育を通じて高い思想・意識と創造的能力を兼備した新しいタイプの共産主義的人間に育成されているわが国を、世界の人々が「教育の国」と高く評価しているのは決して根拠のないことではありません。
人民に社会主義的文化生活を十分に保障するためには、人民大衆の自主的志向と思想・感情、情緒に合った革命的で人民的な新しい文化を創出することが必要です。 そうした社会主義文化を創出し発展させてこそ、あらゆる非文化的で立ち後れた生活慣習を一掃して社会主義的な生活方式を全面的に確立し、人民が健全で気高い精神と道徳をもって自信と楽観に満ちてたたかい、生活できるようにすることができます。
わが党の正しい社会主義文化建設路線が貫徹された結果、こんにちわが国では、人民大衆の自主的志向と革命的要求を反映した主体的文化・芸術が勤労者に大いに親しまれ、燦然と開花、発展しており、社会のすべての文化的財産はひとえに人民の文化レベルを向上させ、多様な文化的・情操的要求を満たすために寄与しています。わが国では文学と芸術、保健・医療、スポーツなど、すべての文化活動が大衆化、日常化され、全人民は文化の創造者、享受者として、社会主義文化の発展のために自らの知恵と才能を見事に開花させており、豊かで多様な文化・情操生活を十二分に楽しんでいます。わが国には資本主義社会のように人々を堕落させ、精神的、肉体的にいびつにする破倫・背徳や社会悪はありません。こんにち、朝鮮人民のあいだでは、互いに尊重し協力し、喜びも悲しみもともに分かち合う気高い社会主義道徳が一般化しており、健全な社会主義的生活様式が全社会をしっかりと支配しています。じつに、こんにちわが国では、家庭と職場のどこにも革命的ロマンがあふれており、われわれの主体的文化・芸術は人民の民族的誇りと自負を高め、思想・精神生活を健全にし、彼らを革命闘争と創造的労働に立ち上がらせる強力な手段となっています。
自然を改造して社会主義の物質的・技術的土台を強固に築くことは、社会主義制度の樹立後に、人間改造とともに社会主義建設の前面に提起される重要な課題です。社会主義制度を樹立した後、生産力を速やかに発展させて社会主義制度に相応した物質的・技術的土台を築かなければ、社会主義は基礎の弱い建物のようにその存在を長く維持することはできず、人民に自主的で創造的な物質生活と労働生活を保障することもできません。
技術革命は、自然を改造して社会主義・共産主義社会の要求に即した物質的・技術的土台を築く根本的な方法です。思想革命と文化革命が人間を改造して共産主義社会の主体を整える事業であるなら、技術革命は自然を改造して共産主義社会の物質的条件を整える事業です。資本主義社会では技術改造が少数資本家のあくなき物欲を満たす手段となりますが、社会主義社会における技術革命は、勤労者に平等で豊かな労働生活と物質生活の条件を保障することによって、搾取と抑圧から解放された勤労者を自然の束縛からも解放し、人民大衆の自主性を完全に実現する重要な革命課題となります。
社会主義社会における技術革命は、技術を発展させて勤労者を骨の折れる労働から解放し、人民の自主的要求に即した社会主義の自立的民族経済を建設し、発展させるのに寄与しなければなりません。現代技術にもとづいて独り立ちできる自立的経済を建設してこそ、人民に自主的で創造的な労働生活と物質生活を確実に保障し、思想における主体、政治における自主、国防における自衛を実現して、国の独立を強固にすることができるのです。したがって、技術革命は必ず主体的立場にしっかりと立って人民経済の主体化、現代化、科学化を円滑に実現する原則にもとづいて遂行し、自国の具体的な実情に即して、そして自国人民の創造的エネルギーに依拠して遂行しなければなりません。
技術革命の遂行において、自分の力を信じようとせず、資本主義国の発達した技術に幻想を抱くのはきわめて有害なことです。科学と技術の発展の面で資本主義が社会主義よりまさっているかのように考えるのは、根本的に誤った見解です。どの社会においても、科学と技術を発展させる担い手は勤労人民大衆です。科学と技術を発展させるうえで、個人主義にもとづいて人々の利害関係が対立している資本主義社会に比べ、すべての勤労者が国家の主人として科学技術の発展に切実な利害をもち、技術の発展を国家が統一的に掌握して社会主義経済法則に即して計画的に推し進める社会主義社会がはるかにまさっていることは疑う余地もありません。技術革命に対する正しい観点をもって主体的立場にしっかりと立ち、自国の経済的潜在力を最大限に活用し、人民大衆の革命的熱意と創造的知恵を十分に発揮させるならば、経済と技術を速やかに発展させることができます。
社会主義制度の樹立後、技術革命を力強く推進し、経済的自立をしっかりと実現できるよう、重工業と軽工業、農業など人民経済の各部門を現代技術で装備しなければなりません。近代的な重工業を創設し、それにもとづく人民経済全般の技術改造を実現してこそ、勤労者を骨の折れる労働から解放し、社会主義社会の要求に応じて生産力を速やかに発展させることができます。わが党は社会主義制度の樹立後、技術革命を促進して社会主義的工業化を実現することを社会主義経済建設の当面の中心課題として打ち出し、その遂行へと勤労者大衆を奮起させることによって、歴史的にきわめて短い期間に人民経済の植民地的跛行性と技術的後進性を克服し、社会主義的工業化の歴史的課題をりっぱに実現しました。
わが党の指導のもとに技術革命が成功裏に推進された結果、社会主義の物質的・技術的土台がいっそう強化されたばかりか、勤労者の労働生活と物質生活にも大きな転換がもたらされました。わが国では高熱や有害な場所での労働がなくなり、骨の折れる労働は著しく減少し、勤労者には安全な労働条件と十分な休息が保障されています。こうして、勤労者の創造的労働生活は日ましに楽しく張り合いのあるものとなっています。技術が発達し社会主義経済建設が成功裏に推進されるにつれて、人民の物質生活も系統的に向上しています。こんにち、わが国では、すべての勤労者は能力と素質にふさわしい職業を保障されており、まだ裕福とは言えないまでも、衣・食・住の心配をすることなく幸福に暮らしています。わが国には際立った金持ちも貧乏人もいなければ、失業者や浮浪者もいません。われわれは現代技術で装備された強力な自立的民族経済を建設した結果、決心さえすればどんなことでも自分の力でできるようになり、世界的な経済変動にも大きな影響を受けずに人民経済を安全に発展させています。貧富の格差がはなはだしく、人々が明日を予測できない不安のなかで生活している資本主義社会とは異なり、強固な自立的経済の土台に依拠し、すべての勤労者が等しく働き、何の心配もなく格差のない暮らしをしているわが国の現実は、わが党が経済建設と技術革命の遂行において社会主義的原則を確実に具現していることがいかに正しいかを実証しています。
人民政権を強化し、その機能と役割を高めることが、社会主義社会を正しく管理・運営し、社会主義・共産主義建設を成功裏に推し進める決定的な保証となります。
人民政権は社会主義社会の主人である人民大衆の自主権を代表し、社会主義社会の生活全般を統一的に管理する指揮権です。人民政権によって人民大衆の自主性が保障され、創造的活動が統一的に進められ、社会主義建設が推進されるのです。そのため、社会主義建設の進捗にともなって人民政権をいっそう強化し、その機能と役割を絶えず高めていかなければなりません。人民政権がその機能と役割を円滑に果たしてこそ、思想、技術、文化の三大革命を力強く推進して人間改造と自然改造を成功裏に行い、政治、経済、文化の各分野にわたって社会関係を社会主義的に改造し、発展、完成させていくことができます。わが党が思想、技術、文化の三大革命の遂行とともに、人民政権の強化とその機能と役割の向上を社会主義建設の総路線の重要な内容として打ち出している理由はここにあります。
社会主義社会をどのように管理・運営するかということは、社会主義制度の樹立後、新たに提起される重要な問題です。社会主義社会は人民大衆が国家と社会の主人となっている社会であるため、社会の管理も人民大衆自身が主人となる新しい社会主義的方式で行わなければなりません。人民大衆が国家政権と生産手段の主人になったとしても、管理における主人として社会を社会主義の本性に即して管理しなければ、主人の地位と役割を満足に保障できず、社会主義制度の優越性を大いに発揮させることも、社会主義建設を成功裏に推進することもできません。
旧社会の遺物である官僚主義的統治方法を一掃し、社会主義社会の本性にかなった社会主義的管理方式を確立するのは、社会主義政権の樹立に劣らぬ困難かつ複雑な事業です。国家政権を階級的支配を実現する独裁の武器と規定した従来の理論では、搾取階級の政権と社会主義政権の本質的相違を主に階級的性格における格差と見なし、無階級社会が実現して階級的支配が不要になれば、社会主義国家は凋落するものとしました。このような見解は、社会主義・共産主義建設の実践とは合致しません。階級的支配の手段としての旧国家は社会主義革命によって破壊され、新たに樹立された社会主義政権は、社会の主人となった人民大衆の自主的で創造的な活動と、社会のすべての分野を統一的に管理する使命を帯びた新しい国家政治組織です。社会主義国家の統一的指揮機能は、社会主義・共産主義建設が進捗するにつれていっそう強化されるべきであり、このような機能は共産主義社会になってからも必要です。したがって、社会主義政権は決して凋落することはなく、政権の問題は社会主義革命の段階だけでなく、社会主義・共産主義建設の全歴史的期間において、依然としてもっとも重要な問題となります。
偉大な領袖
テアンの事業体系は、党の唯一的指導と革命的大衆路線を結合させ、人民大衆に国家と社会の主人としての責任と役割をまっとうさせる事業体系であり、社会主義国家活動の根本的原理を具現しています。テアンの事業体系は社会主義経済の指導管理体系としてだけでなく、社会主義社会全般を管理・運営する政治方式としての普遍的な意義をもっています。テアンの事業体系を創始し、それを社会の各分野に具現したことは、社会主義政権の樹立と、生産手段に対する社会主義的所有関係の確立に劣らぬ、社会改造分野での大革命だと言えます。
社会主義的管理体系と方法の確立においてもっとも重要なのは、党の指導のもとに社会に対する国家の統一的指導を実現することです。
党は社会主義社会の主体である人民大衆の中核部隊であり、社会主義・共産主義建設を導く指導的政治組織であります。党は、人民大衆の意思を集大成した路線と政策を提示して政権の活動方向を示し、政権機関が人民大衆の利益と要求に即して活動するよう政策的指導を行います。党の指導を抜きにしては、社会主義政権は人民の政権としての使命と役割を果たすことができません。社会主義政権は党の路線と政策の実行者であり、社会全体に対する党の指導は、もっとも包括的な政治組織である国家政権を通じてのみ、しっかりと保障され実現されるのです。
人民政権に対する党の指導は政策的指導でなければならず、人民政権の活動は党の路線と政策を貫徹するものでなければなりません。
社会主義国では労働者階級の党が政権党であるため、党組織の活動において、ややもすれば行政活動を代行し、国家機関の創意性を弱めるおそれがあります。したがって政権機関の活動の指導にあたっては、行政化の傾向が生じないように警戒する必要があります。同時に、党の「行政化」に反対し、国家政権の「独自性」と「自立性」を高めるという口実で、政権に対する党の指導を拒んだり弱めようとする傾向も断固排除しなければなりません。人民政権に対する党の指導がなければ、社会主義政権はブルジョア政権に変質し、党が政権に対する指導を放棄すれば、人民大衆の運命に責任をもつ前衛部隊としての存在を終えることになります。
党の指導のもとに社会に対する統一的指導を保障することが、社会主義国家の基本的な機能です。
社会主義社会はすべての社会生活が個人主義にもとづく資本主義社会とは異なり、全人民が共通の目的と利害をもち、ともにたたかう集団主義社会です。国家の統一的な指導がなければ、社会共通の利益にもとづく人民大衆の団結と協力を正しく実現することはできず、社会主義・共産主義建設をめざす人民大衆の闘争を合目的的に導くこともできません。したがって人民政権は、政治、経済、文化など社会生活のすべての分野を統一的に指導し管理しなければなりません。
人民経済を国家の統一的指導のもとに計画的に管理・運営することが、社会主義経済発展の合法則的要求です。生産手段が人民の所有になっている社会主義社会においては、人民の代表者である国家が当然、経済を統一的に管理・運営しなければなりません。社会主義社会においては国家の統一的な指導のもとでのみ、国内の経済的潜在力を最大限に動員し、人民大衆の自主的要求と利益に即して経済を速やかに発展させることができます。経済に対する国家の統一的な指導と企業の創意性を対立させたり、経済規模が大きくなった状況のもとでは経済の計画的な管理・運営が不可能だとして、国家の統一的指導を否定するのは根本的に間違っています。要は、経済に対する国家の統一的指導を、どのような原則に立って、いかなる方法で実現するかにあります。これまで一部の国が社会主義経済の統一的指導において過ちを犯したとすれば、それは経済発展の客観的法則と具体的な実情を無視して行政的な天下り式の方法で管理し、統一性のみを強調して、個々の部門と単位の創意性を発揮させることをおろそかにしたことだと言えます。したがって、経済に対する国家の統一的指導そのものに反対するのでなく、社会主義的要求に即してその方法を改善することが必要です。個々の企業の独自性と当面の経済的利益を前面に押し立て、国家の指導と統制を拒むならば、結局は社会主義経済制度を破壊し、資本主義的市場経済を復活させる結果を招くことになります。経済の規模が大きくなれば、計画指標が膨大になるため経済を計画的に管理・運営できないとするのは、経済が発展すれば人間が経済の付属物になるという主張と同じで、道理に合いません。経済の発展に合わせて国家が経済管理活動家と勤労者のレベルを引き上げ、経済管理を科学的に行えば、社会主義経済を計画的に管理・運営し、その優越性を強く発揮させることができます。
社会主義的管理体系と方法を確立するためには、党活動と国家活動で革命的な大衆路線を貫くことが大切です。
社会主義社会では政権の主人も人民大衆であり、政治の担い手も人民大衆です。人民大衆が国家と社会の主人としての地位を占め、主人としての責任と役割を果たせるようにする革命的大衆路線は、党と国家活動の
人民に奉仕する人民政権の活動では、旧社会の統治方式である官僚主義を絶対に許してはなりません。人民政権機関の活動で、人民大衆の意思と要求に反することをやたらに押しつける官僚主義が許されるならば、人民大衆の自主性と創意性を抑制し、党と政権を人民大衆から遊離させ、結局は社会主義制度の優越性を十分に発揮させることができなくなります。
社会主義社会で官僚主義が生じるのは、活動家に古い思想が残っており、社会管理分野で古い統治体系と方法の残滓が完全に克服されていないからです。官僚主義を克服するためには、古い思想と古い管理方式の残滓を根こそぎにし、大衆路線を具現したチョンサンリ精神、チョンサンリ方法とテアンの事業体系の要求を確実に貫かなければなりません。
階級闘争が続く過渡的な社会である社会主義社会では、国家が反社会主義的要素に対する独裁の機能も果たさなければなりません。
社会主義・共産主義建設は、敵対分子、帝国主義者との深刻な闘争をともないます。帝国主義者の反社会主義的策動が続き、内部に彼らと内通する不純分子がいる状況下では、社会主義政権はつねに革命の武器として、反革命的・反社会主義的要素が増長しないようにし、帝国主義者と内部の反動派が革命と建設を妨害し、社会主義制度を破壊しようとする策動をそのつど粉砕することが必要です。過渡的社会である社会主義社会において政権の独裁機能を弱めれば、人民に民主的自由と権利を保障することはできず、革命の獲得物も固守できず、社会主義制度そのものを危険におとしいれることになります。人民政権を強化し、その機能と役割を高めるところに、社会主義偉業を固守し、達成する確固たる保証があります。
人民政権を強化し、その機能と役割を絶えず高め、思想、技術、文化の三大革命をあくまで遂行するというわが党の総路線は、わが国の社会主義建設にりっぱに具現されており、その正当さと生命力は実践を通じて実証されています。
朝鮮人民は社会主義建設においてわが党の総路線を一貫して堅持し、徹底的に貫くことにより、もっとも困難かつ複雑な状況のもとでも、革命と建設の各分野で偉大な勝利を収め、この地に人民大衆中心の朝鮮式社会主義をりっぱに建設しました。全人民が党と領袖のまわりに一心に団結して革命の強力な主体をなし、社会主義が自主、自立、自衛の強固な基礎のうえで発展し、人民の自主的で創造的な社会主義的生活が全面的に開花しているのは、わが国の社会主義の大きな優越性です。朝鮮人民は実生活を通じて、社会主義のみがあらゆる形の支配と従属、社会的不平等をなくし、人民に真の自由と平等、幸せな張り合いのある生活を保障できるのであり、したがって社会主義への道こそが人民大衆の自主的な理想を実現する道であることを信念として体得しています。
朝鮮人民は自ら選択し、自力で切り開いた社会主義偉業の正当性とその前途に対して確固不動の信念を抱いており、党の指導のもとに社会主義の道をあくまで前進する革命的な決意に満ちています。朝鮮人民は、今後いかに複雑な情勢が生じようと、またいかなる試練にぶつかろうとも、一歩たりとも退いたり、ためらったりすることなく、チュチェ思想を具現したわが党の総路線を最後まで貫徹して、社会主義・共産主義偉業をりっぱに達成するでしょう。