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飛翔する伝説の中のチョンリマ

    平壌市牡丹峰の麓の万寿台にはチョンリマ(千里馬)銅像がある。

    チュチェ50(1961)年に建てたチョンリマ銅像は、朝鮮労働党中央委員会の「赤い手紙」を高くかざした労働者と稲束を抱えた女性農民が翼を広げて空高く駆けるチョンリマに相乗りした姿を形象した青銅彫刻像と白灰色花崗岩で造られた彫刻台になっている。

    伝説的な動物として猛スピードを象徴する翼を広げたチョンリマに乗っている労働者と農民の形象は、チュチェ思想にもとづいて政治的・思想的に統一団結した朝鮮人民が世紀的変革を起こしている壮大な現実とその中で時代の英雄として育っているチョンリマ旗手たちの典型的な姿を示している。

    金日成主席の賢明な指導の下に社会主義を一日も早く建設しようという朝鮮人民の一致した志向と燃えるような革命的情熱を反映したチョンリマ銅像は、チョンリマ運動を主題思想的内容としている。

    金正日総書記は次のように述べている。

    「戦後の廃墟のなかからチョンリマの大高揚を起こした英雄的な闘争気風は、社会主義建設においてつねに朝鮮人民のかがみとなっています」

    朝鮮で社会主義建設の大高揚を起こしたチョンリマ運動は、歴史的な党中央委員会のチュチェ45(1956)年12月総会を契機にして始まった。

    人民の力を大きく信じ、彼らに依拠して直面した厳しい難関を打開するという確固たる決心と意志をもった主席は、チュチェ45(1956)年12月、降仙製鋼所を訪れた。

    主席は降仙の労働者たちに国が処した厳しい状況を具体的に教え、私はわが労働者階級しか頼るところがないので訪ねてきた、今の状況で鋼材を1万トンだけ増産すれば国が腰を伸ばす、鋼材問題は全的に皆さんに任せる、と大きな信頼を与えた。

    主席の大きな信頼はそのまま降仙の労働者階級が消極性と保守主義、技術神秘主義を大胆に打破し、チョンリマ大高揚の初の烽火を高くあげるようにした鼓舞的力となり、全国の労働者階級と人民が奮い立って革命的大高揚の旗も高く社会主義建設のすべての部門で一大奇跡と革新を創造できるようにした力の源泉となった。

    朝鮮人民は「チョンリマを駆ける勢いで前進しよう!」という主席の戦闘的呼びかけに応えて、他人が一歩を歩む時、十歩、百歩を歩み、あらゆる消極性と保守主義、技術神秘主義を焼き払いながら継続革新、継続前進した。

    チョンリマ大高揚の日々に社会主義建設のすべての部門では毎日のように革新が起こり、世人を驚嘆させる奇跡が相次いで創造された。

    朝鮮の労働者階級と人民は6万トン能力の分塊圧延機で12万トンの鋼片を伸ばし、19万トンしか生産できないとされていた溶鉱炉で27万トンの銑鉄を生産した。 3~4年はかかるとされていた広軌鉄道敷設工事をわずか2ヵ月半で完遂し、7,000世帯分の資材、資金、労力をもって2万839世帯の住宅を建設した。

    この時期、朝鮮の労働者階級は「チョンリマ」号トラクターはわずか30余日間、「勝利58」型貨物自動車は40日間でつくり出す奇跡を生み、工業が発展した国々でも2~3年はかかるといわれていた現代的な8mターニング盤をわずか5ヶ月間で、「機械工業の精髄」といわれる電気機関車を一年間でつくり出す奇跡を生んだ。

    自力更生の火の手が激しく燃えあがる中、自らの技術と力でクレーン、掘削機、ブルドーザー、大型工作機械などを短期間につくり出し、わずか一年間の工作機械の子産み運動によって国家計画外に1万3000余台の工作機械を増産した。

    チョンリマ大高揚の中で朝鮮人民は5ヵ年計画を工業総生産額的には2年半で、現物指標別には4年間で超過遂行し、チュチェ46(1957)年からチュチェ49(1960)年までの間に工業総生産額を毎年平均36.6%という奇跡的な速度で成長させた。

    チュチェ46(1957)年からチュチェ59(1970)年までの工業化の全期間には、工業生産を毎年平均19.1%の高い成長速度で発展させた。

    それで資本主義諸国が丸一世紀、あるいは数世紀にわたっておこなった工業化の困難でかつ膨大な課題をわずか14年足らずの短期間で立派に実現した。

    その日々に伝説の中のチョンリマが革命のチョンリマとして飛翔するようになり、朝鮮人民はチョンリマの手綱をしっかり握りしめ、「チョンリマの国」「チョンリマ朝鮮」の英雄的気概を全世界に力強く誇示したのである。