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献身でもたらした党創立の朝

チュチェ34(1945)年の10月のある日、夢路でも懐かしんでいた故郷万景台を通り過ぎて降仙の労働者階級から訪ね、工場を復旧する方途を教えながら一日中不滅の労苦を捧げた金日成主席は、その日の夜にも重なった疲れを取る間もなく党創立大会で行う歴史的な報告を執筆していた。

いつの間にか夜は更けて行った。

一幹部が静かに部屋に入り、もうすぐ早暁なのに、少しなりとも休んでは、と進言したが、主席は笑みをたたえ、もう慣れているから大丈夫だ、夜明けの時間が私には一番貴重な時間だ、と言いながら執筆を続けた。

朝日が昇る時まで机に向かって報告の終わり部分まで執筆を終えた主席は、窓辺に近寄り、明けてくる東の空をしばらく眺めた。

しばらく時間が経って幹部たちの挨拶に答えた主席は、相変わらず東の空から目を離さずに、あらゆる辛苦と厳しい試練をなめていた朝鮮共産主義運動歴史に新しいページを記す時刻が近づいている、と意味深長に言った。

その時、幹部たちは主席のこの短いお言葉の中にどれほど深い意味が込められているかを全部は理解していなかった。

このように明けてきた党創立の朝を夕食もろくにせずに迎えた主席は、一時の休みもなく、そのまま党創立大会が開かれる会議場へと向かった。