民族自主の原則で革命と建設を自らの方式で 進めるべきであるということについて
民族自主の原則で革命と建設を自らの方式で進めるのは、革命と建設において主体性と民族性を固守するための重要な問題である。
民族自主の原則で革命と建設を進めるのは、主体性と民族性を固守するための基本的要求の一つである。
民族自主の原則は、革命と建設において提起されるすべての問題をいかなる外部勢力の干渉なしに、自民族の意思と決心によって解決することである。
これは、なんぴとも侵すことのできない民族の神聖な権利である。
民族自主の原則で革命と建設を進めてこそ、主体性を確固と固守することができる。
革命を進める党と人民は、民族自主の原則で革命と建設を進めてこそ、革命と建設で主人としての権利を行使し、責任を全うすることができ、自らの自主性を実現することができる。
もし、自分の定見と信念も無しに他人の真似をすれば、革命と建設において主体性を失い、人民大衆の自主性を実現することができない。
民族自主の原則で革命と建設を進めてこそ、主体性とともに民族性も固守することができる。
革命を進める党と人民は、民族自主の原則で革命と建設を推し進めてこそ、民族の特性と優秀性を保存し、それを全面的に実現することができる。
政治的自主性を堅持せず、他人に従属された民族は、自民族の特徴も固守できず、最後には民族が異質化され、他民族に同化される。
かつて、東ヨーロッパ諸国は革命と建設において、民族自主の原則を堅持せず、旧ソ連の指揮棒に沿って行動した結果、自民族の固有の伝統と文化を生かせず、甚だしくは言語と風習にいたるまで社会生活の全般が「ソ連化」されるようになった。そうして、この国々では社会主義と民族の運命が結合されず、労働者階級の党と政権が人民大衆から孤立、排撃され、後には社会主義制度が崩壊される悲惨な事態が生じられた。
歴史的な経験は、自主の道が民族的独立と繁栄の道であるなら、外部勢力に依存する道は従属の道、亡国の道であることをはっきり示している。
革命と建設において、民族自主の原則を堅持することは、決して簡単な問題ではない。それは外部からは大国主義者と支配主義者の圧力と脅威が強まり、内部からは事大主義者の挑戦に直面するためである。
大国主義者と支配主義者、事大主義者は革命と建設において、困難と試練があるときに圧力を加え、挑戦しながら民族自主の原則、主体的路線を放棄し、自分の意思に従うことを強要している。
朝鮮革命の歴史を見ても、大国主義者、支配主義者が自主的立場を堅持する朝鮮労働党と人民に圧力を加え、それに力を合わせたセクト分子、事大主義者が頭を上げ、朝鮮労働党に挑戦した。
革命を進める党と人民は、大国主義者と支配主義者の圧力が強化され、事大主義者の圧力が大きくなるほど、いささかの動揺もなく、自らの定見をいっそう高く掲げ、自ら決定した路線と政策をあくまで貫徹すべきである。こうしてこそ、革命と建設において、主体性と民族性を固守することができ、人民大衆の自主性を実現し、民族的尊厳と栄誉を輝くことができる。
民族自主の原則を堅持することとともに自らの方式に革命と建設を進めることは、主体性と民族性を固守するための基本的要求の一つである。
自らの方式に革命と建設を進めることは、自国人民、自民族の要求と利益、自国の実情に即して革命と建設を進めることである。
これは現実に基づいて、革命と建設を進めるもっとも革命的で科学的な方法である。
革命を進める党と人民は、革命と建設を前進させ、社会を発展させるうえで、常に自らの方法と方策を探し出し、それに依拠すべきである。他人のやり方を好み、それを真似るのは、国と民族、人民大衆の運命に責任をもつ主人の態度ではない。自らの方式に革命と建設を進めるうえで、他人の経験に対する正しい態度をとることが重要である。
自らの方式に革命と建設を進めるからといって、他人の経験を無視するのではなく、他国のもののうち、すぐれたもの、進んだものは機械的に模倣せず、自分に有益に受け入れるべきである。
民族自主の原則で自らの方式に革命と建設を進めてこそ、主体性と民族性を固守し、人民大衆の自主偉業を勝利の一路へ導くことができるというのは、自主性をめざす人民大衆の闘争の過程に検証された絶対的な真理である。