朝鮮人民は遠からずして、偉大な領袖
この日に際して朝鮮人民は、
祖国の統一は
わが祖国の統一の問題は、第二次世界大戦の終結と同時に、外部勢力により国土が分断された結果生じた問題である。国が北と南に分かれたこの半世紀の歴史は、統一と分裂、愛国と売国の相反する二つの路線の厳しい闘争の歴史であり、祖国の統一を志向する愛国勢力の勝利の歴史でもある。
祖国統一路線を堅持し、祖国統一のためにあらゆる労苦を尽くした
自主、平和統一、民族大団結の三大原則は、祖国統一問題を民族の意思と利益に即して、民族自らの力で解決する根本的な立場と方法を明示した祖国統一の礎石である。祖国統一の三大原則は、北と南が七・四共同声明を通じて確認し、内外に厳かに宣言した民族共同の統一の大綱である。
祖国統一のための全民族大団結一〇大綱領は、全民族の団結を成し遂げ、祖国統一の主体的な力を強化するための政治綱領である。この綱領には、民族大団結の目標と理念的基礎、団結の原則と方法が全面的に示されている。
高(コ)麗(リョ)民主連邦共和国創立案は、統一国家の全貌とその実現の方法を示した設計図である。この案には、国の統一を、北と南の思想と体制を互いに容認する基礎のうえで、もっとも公正かつ円滑に実現する基本的方法が示されている。
祖国統一の三大原則と全民族大団結一〇大綱領、高麗民主連邦共和国創立案は、
祖国統一の主体はわが民族であり、その威力は民族大団結にある。主体的な統一勢力がしっかり準備されたとき、祖国統一の偉業の勝利は確実に保障される。
こんにち、統一・愛国の主体的な力は北と南、海外という全民族的な範囲に拡大し強化され、さらに固く結束しており、事大売国的な分裂主義勢力を圧倒し、祖国の自主的平和統一をめざして力強く前進している。
半世紀以上も続いている国土の分断と民族の分裂は、五〇〇〇年の長い歴史をもつ朝鮮民族の統一的発展を阻み、全民族に計り知れない不幸と苦痛をもたらしている。われわれの世代に祖国を統一しなければ、育ちゆく新しい世代も民族分裂の悲劇をなめるようになり、北と南のあいだには民族の共通性すらなくなり、民族が永久に二つに分断される恐れがある。帝国主義の植民地体制が崩壊し、抑圧されていたすべての国と民族が自主独立の道を進んでいるとき、民族の尊厳と栄誉を生命のように貴ぶ朝鮮民族が外部勢力によって自主権を踏みにじられているのは、耐えがたい民族の恥辱である。
われわれは、
祖国統一を実現するためには、
国と民族の運命を切り開くうえで、主体性を堅持し民族性を生かすことは、国の自主独立と富強・発展を保障し、民族の繁栄を遂げるための原則的要求である。
国の統一問題はあくまでも民族自主の原則で解決しなければならない。民族自主の原則を堅持するのは、主体性と民族性を固守するうえで基本となる。
すべての民族は、自らの運命を自ら掌握し、自らの意思によって自主的に切り開く権利をもっている。民族の自主権はなんぴとであれ奪うことはできず、侵すこともできない。祖国統一は朝鮮民族自身の問題であると同時に、民族の自主権にかかわる問題であるだけに、朝鮮民族が主人となり、民族の自主的意思と要求に即して民族自らの力で実現しなければならない。
民族自主の原則のもとに国の統一を実現するためには、民族の全構成員が民族自主の意識で武装し、事大主義と外部勢力への依存思想を断固として排撃しなければならない。
民族自主の意識が民族を強くし、国を興す思想的力であるなら、事大主義と外部勢力への依存思想は民族を卑屈にし、無気力な存在にする思想的毒素である。事大と外部勢力への依存が亡国の道であるというのは、民族受難の長い歴史を通じて朝鮮民族が骨身にしみて体験した深刻な教訓である。わが国が日本帝国主義に併呑されたのも、初期の共産主義運動が失敗し、民族主義運動が挫折したのも、結局、自国の力に頼らず、大国をあがめ、それにつき従う事大主義のためであった。
祖国が解放された後にも、崇米事大主義に陥った南朝鮮歴代の執権者は、アメリカを後ろ盾にしてその侵略政策に追従し、反統一的な売国的・反民族的行為を働いてきた。外部勢力に奪われた民族の自主権を取り戻す祖国統一の問題を外部勢力に依存して解決しようとするのは、従属のくびきを自ら首にはめるに等しい愚行である。
民族の自主権と尊厳を守り、民族の意思と利益に即して祖国統一を実現するためには、事大と外部勢力への依存を排撃し、外部勢力の侵略と干渉に反対して断固たたかわなければならない。われわれは、わが祖国の統一問題に干渉し、自己の侵略的・支配主義的野望を実現しようとするいかなる画策をも許さないであろう。われわれは民族自主の旗を高く掲げ、祖国統一をめざす闘争をいっそう力強く展開し、国と民族の完全な自主独立を達成しなければならない。
祖国統一の偉業を自主的に実現するためには、民族の主体的な力を整えなければならない。全民族の大団結は、祖国の自主的平和統一を実現する決定的な保障となるものである。祖国統一の直接の担当者は朝鮮民族自身であり、祖国統一をめざす朝鮮民族の闘争はなんぴとであれ代行できない。全民族が民族大団結の旗のもとに固く団結し、祖国統一の主体的な力をしっかり整えてこそ、内外の分裂主義勢力の反統一の策動を粉砕し、祖国統一の偉業を成就することができるのである。
民族の大団結を成し遂げるためには、思想と理念、体制の違いを後回しにし、民族共通の利益を前面に押し出し、それに基づいて団結する原則を堅持しなければならない。祖国統一の偉業は、民族内部の階級的矛盾や体制上の対立を解消するためのことではなく、全国的に民族の自主権を確立する民族的な偉業である。民族を離れた階級や階層はあり得ず、民族の自主性の実現なくしては民族構成員の自主性も保障されない。祖国統一が民族至上の課題となっているこんにち、いかなる階級や階層も自己の利害を民族共通の利益に優先させてはならない。北と南に現存する思想と体制の違いがいかに大きくとも、長い歴史を通じて形成され強化、発展してきた朝鮮民族の民族的共通性より大きいはずはない。北と南が民族的共通性と民族共通の利益を前面に押し出し、共に祖国統一を志向するならば、思想と体制の違いを超越して全民族の大団結を成し遂げることができる。
祖国愛と民族愛は全民族構成員の共通の思想・感情であり、民族の団結の思想的基礎である。国と民族を熱烈に愛し、民族の尊厳を何より重んじるのは、わが民族の誇りある伝統であり、民族的特質である。朝鮮民族の血と魂をもつ人であるなら、朝鮮民族のすぐれた民族性を大切にし守らなければならない。こんにち、朝鮮人にとって真の人生の価値と生きがいは、自らの運命を民族の運命と結びつけ、祖国の統一・独立と民族の繁栄のための聖なる偉業に身も心も捧げることにある。祖国と民族を愛し、祖国と民族の運命を憂える人は、北と南、海外のどこに住もうと、すべてが思想と理念、信教と政見、階級と階層の違いにかかわりなく、祖国統一の旗のもとに固く団結すべきである。
われわれは、北と南が思想と体制の違いを超越して共存、共栄、共利を図り、祖国統一という大事業を実現するために力を合わせることを主張する。われわれは、民族的良心をもって祖国統一のために立ち上がる人であれば、いかなる思想や宗教を信じようとも、また資本家であれ将官であれ、政権の上層部にいる人であれ、関係なくともに手を取り合って進むであろう。われわれは、かつて民族に対し罪を犯した人であっても、自己の過ちを悔い改め、民族の側に立ち戻るならば、過去を白紙にし、寛容をもって接し、その人と団結するであろう。
民族大団結のためのわが党の路線と政策は、愛国、愛族、愛民の幅の広い政治である。祖国の統一・独立と富強・発展をめざす闘争の全過程を通じて、変わることなく幅の広い政治を貫こうとするのが、われわれの一貫した立場である。愛国、愛族、愛民の思想を全面的に具現している民族大団結路線は、祖国解放の闘争と新社会の建設、祖国統一のたたかいなど長期にわたる実践過程を通じてその正当性と生命力が遺憾なく発揮されている。われわれは、愛国を志向して統一の偉業に立ち上がる各政党、団体、すべての人の思想と理念、信教を尊重し、彼らと連合することにより、民族に対して担った義務と信義を守るであろう。
祖国統一を武力行使によらず、平和的方法で実現しようというのが、われわれの原則的立場であり、わが党の一貫した路線である。
わが民族の統一問題をめぐって同族同士が争うべき根拠はない。北と南に現存する思想と体制の違いも、武力行使の条件にはならない。思想と体制は強要するからといって受け入れられるものではなく、また強制的方法では北と南の思想と体制の違いをなくすこともできない。北と南が争えば、戦争の惨禍を被るのは朝鮮民族であり、そこから漁夫の利を得るのは帝国主義者である。朝鮮の平和的統一は朝鮮民族の要求であると同時に、世界の平和を愛する人民の念願でもある。国と民族を愛し、平和を尊ぶ人は、誰もが祖国の平和的統一のためにあらゆる努力を尽くすべきである。
朝鮮半島の平和を保持し、国の平和的統一を実現するためには、侵略と戦争の策動に反対し、戦争の危険を取り除かなければならない。
侵略と戦争の策動に反対する闘争を抜きにしては平和を保持することはできず、平和統一について考えることもできない。今、朝鮮半島では、アメリカと南朝鮮支配層の反社会主義・反共和国策動によって緊張が高まっており、いつ戦争が起きるか分からない危険が生じている。
わが国の緊張を緩和し、戦争の危険を取り除く問題は、何よりもアメリカがわが共和国に対する敵視政策を捨て、朝米が平和協定を締結して初めて解決される。わが共和国とアメリカは今なお一時的な休戦状態にあり、わが国における戦争の危険は解消されていない。戦争の危険を取り除き、平和を保障するためには、われわれとアメリカのあいだに平和協定を締結し、新たな平和保障体系を打ち立てなければならない。同時に、すでに世界に公表された北南不可侵に関する合意を再確認し、確実に履行しなければならない。
今アメリカは、口先では「冷戦の終結」や「緊張緩和」を喧伝しながらも、依然として「力の政策」を追求し、絶えまない軍事演習と侵略の策動によってわれわれを脅かし、南朝鮮支配層の戦争挑発騒ぎを極力あおり立てている。軍事的威嚇や圧力によってわれわれを屈服させようとするのは無益な試みであり、危険な行動である。
われわれは、われわれの社会主義を鉄壁のように守り、国の自主権と民族の尊厳が侵されるのを許さないであろう。帝国主義者と南朝鮮支配層の戦争挑発の策動に対処して革命武力を強化し、国と人民の安全を守るのは、われわれの当然の自衛的措置である。帝国主義の好戦的な階層は武力でわれわれの軍事的威力を試そうとすべきではなく、軍事的威嚇と挑発で朝鮮人民を驚かしたり屈服させようとすべきではない。そうした分別のない行動は、破局的な結果をもたらす危険千万な冒険となるであろう。われわれは決して戦争を望まず、終始一貫して国の統一を平和的に実現するために努力している。
わが祖国の統一問題を円滑に解決するもっとも合理的な方法は、連邦制方式に基づいて国の統一を実現することである。
わが民族は、誰にも受け入れられる合理的な方式で、一日も早く祖国が統一されることを望んでいる。北と南に相異なる体制が打ち立てられてから半世紀が過ぎたこんにちに至り、どちらか一方の体制による統一を実現しようとするならば、統一はおろか、かえって分裂を深め、取り返しのつかない民族的災難をもたらすであろう。
わが民族の差し迫った要求と国の現実に照らして、祖国統一を早期に実現する最善の方法は、一つの民族、一つの国家、二つの体制、二つの政府に基づく連邦制方式の民族統一国家を創立することである。
連邦制方式の統一は、片方の優位や利益のみを追求せず、どちらにも被害を与えない合理的かつ公明正大な統一方法である。連邦制統一方式は、朝鮮半島に恒常的に漂う戦争の危険を取り除き、世界の平和と安全を保障することにも寄与するであろう。
連邦制の統一が実現すれば、朝鮮民族は全国的な範囲で自主権を確立し、一つの民族として大団結を成し遂げ、わが国は自主的で平和を愛する中立の民族統一国家となるであろう。統一された連邦国家は周辺諸国の利害も侵さず、それらの国の脅威にもならないであろう。
われわれはいかなる難関や試練に直面してもいささかも動揺することなく、
北南関係を改善することは、祖国の自主的平和統一を実現するうえで差し迫った要求である。
北と南の関係を不信と対決の関係から信頼と和解の関係に変えてこそ、全民族の団結した力で祖国の自主的平和統一を実現することができる。
こんにち、祖国統一の気運はかつてなく高まっているが、北南関係はいつにもまして緊張し先鋭化している。民族の運命も祖国の統一も眼中にない南朝鮮の現当局者は、その権力基盤が根底から揺らぐようになると、活路を北南間の緊張激化と対決に求め、北南関係を極端な敵対関係に変え、外部勢力と結託して北侵戦争挑発の策動をかつてなく強化している。南朝鮮に現「政権」が出現して以来、北と南のあいだでは和解ではなく対決が激化し、平和ではなく戦争の危険が深まっている。北南関係をかつてない最悪の状態に追い込んだのは、南朝鮮の現当局が犯した永久に許しがたい反統一的・反民族的な売国の罪業である。
北南関係を改善し、祖国統一への転機を開くためには、何よりも南朝鮮当局者が外部勢力に依存し彼らと「共助」するのではなく、民族自主の立場で同族と力を合わせて外部勢力を排撃する道に立たなければならない。
民族自主か外部勢力への依存かということは、統一と分裂、愛国と売国を見きわめる試金石である。誰であれ、民族に背き、民族の主体的な力に背を向けて外部勢力に依存し、彼らと「共助」する道を歩むならば、民族から見放され、歴史の審判を免れないであろう。南朝鮮当局者が民族自主の立場、愛国愛族の立場に立ってこそ、北南関係は信頼と和解の関係に発展し、祖国統一の新たな突破口が開かれるであろう。
南朝鮮当局者は政策を転換して、民族のためを思い民族に依拠する民族自主の立場に立ち戻り、同族と手を取り合って祖国と民族の運命を共に切り開いていく政策を実施しなければならない。
北南間の政治的対決状態を解消するのは、北南関係を改善するための第一義的な要求である。北南間の政治的対決状態が解消されれば、軍事的対決状態も解消され、ひいては民族的和解と団結も実現される。
南朝鮮当局者は真の同族意識をもって、われわれを敵視する反北対決政策を連北和解政策に変えるべきであり、北南間の誤解と不信を助長し、民族的和解と団結を妨げるようなことをしてはならない。
北南間の政治的対決状態とともに軍事的対決状態を解消し、緊張を緩和することが必要である。
北南間の軍事的対決状態は、同族間の不信と誤解を招き、相互の信頼と和解を妨げるばかりでなく、緊張を激化させて民族的惨禍をもたらしかねない。軍事的対決状態を解消せずには、北南関係の改善も、朝鮮半島の平和と平和統一も期待できない。
現在、南朝鮮ではありもしない「南侵の脅威」を喧伝しているが、わが国に実際にあるのは「南侵の脅威」ではなく北侵の脅威である。朝鮮半島で北侵の脅威がなくなれば、北南間の軍事的対決状態も解消されるであろう。
南朝鮮当局者は、危険な戦争政策を放棄し、緊張を激化させるのではなく、緩和へと進まなければならない。南朝鮮で兵力増強と外部からの兵器搬入を中止し、外国の軍隊との合同軍事演習を取り止め、無謀な軍事的挑発行為をやめるべきである。
北南間の対決状態を解消し、民族の和解と団結を図るためには、南朝鮮での社会・政治生活が民主化されなければならない。南朝鮮で誰が政権を握ろうと、ファッショ的支配が実施される状況下では、北南間の対決状態を解消することができず、南朝鮮の各党、各派、各階層の自由な祖国統一論議や活動について考えることもできない。まして、同族を敵と規定し、北と南の人民と各界人士の接触と交流を犯罪視し、南朝鮮の統一愛国勢力を弾圧する「国家保安法」のような反民族・反統一の悪法が存続するならば、いつになっても民族の和解と団結を成し遂げることはできず、北南間の接触と交流を実現することもできない。民族の分断とともに始まった祖国統一運動の苦難に満ちた歴史は、南朝鮮で「国家保安法」が撤廃されない限り、北南関係にいかなる進展もあり得ないことを示している。
南朝鮮で愛国的な統一民主勢力が「国家保安法」によって弾圧され、北南関係が極度に悪化している現実は、民主化の課題を遅らせることのできない切迫した要求として提起している。南朝鮮の人民を苦しめ、全民族に害を及ぼす「国家保安法」は当然撤廃されなければならず、南朝鮮で各党、各派、各階層の祖国統一論議と活動の自由をはじめ政治的自由と民主的権利が保障されなければならない。
われわれが主張するこれらの問題は、北南関係を改善し、祖国統一の新たな局面を切り開くために必ず解決されなければならない。
今後、南朝鮮当局者が全民族の期待に応えて、現在の反民族的で反統一的な対決政策から脱し、実際の行動によって肯定的な変化を見せるならば、われわれはいつでも彼らと対座し、民族の運命問題について虚心坦懐に論議し、祖国統一のために共に努力するであろう。われわれは、南朝鮮当局者がどのような姿勢と立場でどう行動するかを注視するであろう。
朝鮮問題を正しく解決するためには、関係諸国も朝鮮の統一を助けるという誠実な立場に立って肯定的な役割を果たさなければならない。関係諸国は朝鮮民族の自主権と統一の意志を尊重し、朝鮮民族が祖国の統一問題を自主的、平和的に解決できるよう積極的に協力すべきである。
アメリカは朝鮮問題に直接責任がある当事者として、当然、自らが署名した公約と義務を誠実に履行しなければならない。アメリカは、時代錯誤の対朝鮮政策を根本的に改め、これ以上、朝鮮の自主的平和統一に妨げとなるようなことをしてはならない。われわれはアメリカを百年の宿敵と見なそうとはしておらず、朝米関係の正常化を望んでいる。アメリカが冷戦時代の古い観念から脱し、力の立場で朝鮮問題に対処せず、朝鮮半島の平和と統一に助けとなることをすれば、朝米関係も両国人民の利益に即して好ましく発展していくであろう。
かつて朝鮮人民に計り知れない不幸と災厄をもたらした日本は、過去を心から反省し、わが共和国に対する敵視政策を放棄すべきであり、朝鮮の分裂をあおり統一を妨げるようなことをしてはならない。そうすれば、われわれは隣邦の日本に友好的に接し、不正常な朝・日関係も改善されるであろう。
祖国統一をめざす朝鮮人民の闘争の前途は平坦ではないが、民族の悲願である祖国統一は必ず実現されるであろう。
朝鮮が統一されれば、わが祖国は七〇〇〇万の人口をもつ富強な自主独立国家として世界の舞台に堂々と登場し、朝鮮民族は英知に富み、尊厳ある偉大な民族としての誇りをとどろかせるであろう。
われわれは、偉大な領袖