わが国の6大名山の一つに、朝鮮8景の一つとして広く知られている妙香山は平壌の東北部にある名山である。
妙香山(面積375㎢、周囲128㎞、高さ1909m)は、コノテガシワが至る所に自生して香気を放ち、山容が妙をきわめ神秘な趣を呈しているところからその名が由来している。
最初はヨンジュ郡に属している山という意味で「ヨンジュ山」と呼ばれ、高麗中葉以降には妙香山の岩が特に白くてこぎれいであるという意味で「太白山」とも呼ばれた。
妙香山は歴史的に先に開拓された毘盧峰の北側の一帯を旧香山と言い、これより遅れて開拓された普賢寺一帯を新香山と呼ぶ。
妙香山と言えば俗に風光明媚な新香山(妙香川の谷間)一帯を念頭に置く。
朝鮮人民は昔から妙香山をわが国の名山の中でも指折りの絶勝の一つとして誇ってきた。
妙香山には「妙香山8景」と呼ばれる立派な景色がある。
妙香山は景色が美しいばかりでなく、外来侵略者に反対して勇敢に戦った朝鮮人民の愛国的な闘争史が秘められており、わが民族の文化・芸術的技巧と創造的才能を示す文化遺産が多いことから、わが人民の間に広く知れ渡っている。
妙香山でもっともすぐれた絶勝をなしているところは妙香川を挟んで前後に聳え立った連峰と奇岩、渓谷の風致で有名な上元洞、万瀑洞、千胎洞、七星洞などの渓谷と数多くの滝、そして美しい自然風致に相応しく優雅に建てられた労働党時代の大記念碑的建造物と文化遺産が集中されている新香山一帯である。
観光の登山地に、参観地につくられた妙香山にはチュチェ36(1947)年5月に創設された妙香山歴史博物館、平壌市妙香山登山少年団キャンプ場、毘盧峰踏査宿営所、香山ホテル、妙香山鉱泉場をはじめ、観光客と野営生のための施設がつくられ、ここを訪ねる人々の便宜を図っている。
妙香山でも指折りの景色は上元洞、万瀑洞、千胎洞、七星洞である。
上元洞は上元庵のある渓谷で、ここには金剛の滝、台下の滝をはじめ、白雪の舞うような散珠の滝、青竜の昇天を思わせる竜淵の滝、雄大な天神の滝などがある。
万瀑洞には九つの層をなして流れ落ちる九層の滝をはじめ、飛仙の滝、遊仙の滝、武陵の滝などがある。
天女の羽衣を思わせる飛仙の滝は、妙香山随一の美しい滝である。
妙香山は美しくて文化遺跡と遺物が多い由緒深いところである。
天下第一の妙香山には旧建築と彫刻物、塔と碑石、絵画と工芸品、印刷文化遺物など、勤勉で英知に富んだわが人民の創造的才能と芸術的技巧を見せる貴重な遺跡と遺物が多く保存されている。
現在、妙香山には11世紀初のわが国の建築術を代表するものとして、芸術的価値の極めて高い寺である普賢寺とその中の庵をはじめ、木造の建物と数基の塔と碑石、「八万大蔵経」と印刷用版木などの遺跡、遺物がある。
このような民族文化遺産は妙香山の美しい絶景とともに名山の景色をさらに生かしているばかりか、わが民族の悠久さをよく見せている。
妙香山には国際親善展覧観があって、名山としてのその名が広く知られるようになった。
妙香川を挟んで豪壮にたっている国際親善展覧観(高さ43.3m、階数6階)は、チュチェ66(1977)1月に着工式が行なわれて共和国創建30周年記念日を目前にしたチュチェ67(1978)年8月26日に開館された。
国際親善展覧観は妙香山の自然美とよく調和して民族的形式と社会主義内容が反映された壮大な建築物である。
国際親善展覧観には
国際親善展覧観は朝鮮人民と世界の平和愛好人民の親善と団結を象徴しており、主席と
天下第一の妙香山には代を次いで末永く伝える白頭山の不世出の偉人たちの不滅の事績が秘められている。
主席はまた、普賢寺の建物をいちいち見回りながら、貴重な文化遺産である「八万大蔵経」と版木活字をはじめ、遺跡と遺物をよく保存、管理し、次世代が見れるようにすべきであると指摘し、妙香山の風致と民族文化遺産をよく保護、管理するための具体的な方向と方途を提示した。
熾烈な祖国解放戦争期はもとより、戦後の時期にも妙香山について深い関心を払った主席は、一日も早く戦争の傷を癒し、名勝地の自然風致を保護、管理し大雄殿、万歳楼をはじめ、遺跡と遺物を原状どおり復旧することのできる対策まで講じた。
主席はその後、数十回も妙香山を訪ね、ここを青少年と勤労者の立派な文化休息場、世界的な観光登山地につくる綱領的教示を与えた。
主席の崇高な意志を立派に引き継いでいく
第一書記の賢明な指導によって、平壌市妙香山登山少年団キャンプ場は新世紀の要求に相応しく現代的に建設された。
天下の名勝として世に広く知られた妙香山の天然岩には
世界的な名山として誇り高い妙香山には今日、朝鮮人民ばかりでなく、世界の大勢の人々がひっきりなしに訪ねて来ている。