咸鏡北道穏成郡王在山里に位置している王在山革命史跡地は、
偉大な金日成同志が王在山会議を指導し、会議で打ち出した課題を実現するために闘った業績が秘められている革命史跡地である。
金日成同志は、豆満江沿岸の広い地域に遊撃根拠地を創設し、それを拠点にして抗日武装闘争を中心とした全般的な朝鮮革命を力強く推し進める一方、武装闘争を国内へ拡大するためにチュチェ22(1933)年3月11日、朝鮮人民革命軍のある部隊を率いて豆満江を渡り、穏成地区に進出した。
金日成同志はその日、王在山の頂で穏成地区の地下革命組織責任者とその地域に派遣され活動していた政治工作員に会い、国内状況と革命組織の活動状況を具体的に調べた後、王在山会議を行った。
金日成同志は会議で行った演説「武装闘争を国内へ拡大するために」でチュチェ思想の旗印のもとに抗日武装闘争を国内へ拡大する戦略的方針を打ち出した。
武装闘争を国内へ拡大する方針は、朝鮮人民の力によって日本帝国主義を打ち破り、祖国解放の歴史的偉業を成就する主体的で、革命的な方針である。
金日成同志が行った穏成地区への進出と王在山会議は、抗日武装闘争を国内へ拡大する序幕となり、朝鮮の反日民族解放闘争の発展において一つの新たな里程標になった。
金日成同志は王在山会議の後、武装闘争を国内へ拡大する闘争をより積極的に繰り広げた。
金日成同志は数回にわたって国内へ進出し、政治工作員と地下革命組織責任者の会議と政治講習を行い、彼らが王在山会議の方針を貫徹するように、具体的な対策を立て、その実現をめざす闘争を用意周到に導くようにした。同時に、反日人民遊撃隊の国内進出をさらに積極的に行うようにした。
金日成同志の賢明な指導のもとに武装闘争が国内へ拡大し、国内における反日大衆闘争が強化されることにより、武装闘争を中心とした反日民族解放闘争は急速に発展するようになった。
偉大な金正日総書記は、金日成同志の不滅の革命業績が秘められている王在山を大規模の革命史跡地として立派に整備することを発起し、自ら王在山を訪ね、革命史跡地の建設方向と建設原則、そして革命史跡地を通じた教育活動に関する問題を明らかにした。
こうして、王在山革命史跡地は金正日総書記の賢明な指導のもとに朝鮮労働党創立30周年を迎えるチュチェ64(1975)年10月に立派に整備された。
王在山革命史跡地には、金日成同志の銅像が高く建立された王在山大記念碑と王在山革命博物館、王在山会議が開かれた場所があり、ここから東北の山の背に沿って2キロメートルほど行くと、金日成同志がチュチェ22(1933)年3月11日、豆満江を渡り、祖国の土を踏み付けたタマッコル渡江場所がある。
王在山革命史跡地には、王在山革命史跡地の建設のために捧げた金正日総書記の不滅の業績を末長く伝えるために建てた標識碑がある。
王在山革命史跡地内には、この他にも金日成同志が打ち出した王在山会議方針を体して朝鮮人民革命軍の隊員と革命組織メンバーが成し遂げた闘争業績が秘められている場所が保存されている。