チュチェ37(1948)年6月4日、咸鏡南道を現地指導していた
工場の幹部がもってきた住宅の設計図案に目を通した主席は労働者たちの住宅地区と構造について調べた。
窓辺に近寄り、外を眺めていた主席は日本帝国主義植民地支配の時、わが労働者たちは家もなしに苦労しながら暮らしたとし、その住宅地区は工場の煙のために空気が悪いので子供たちの養育に良くないだろう、煙のないところに住宅を建設しなければ、と述べた。
工場の幹部はもちろん、随行していた幹部らもみな驚いた。
ここで長い間、暮らしながらも空気のために住宅を他所に建設すべきであるとは考えもしなかったからである。
労働者たちが部屋にござを敷いて暮らしていることを知った主席は、今後の住宅はオンドル部屋に建設し、日本人の生活様式どおりに作った家は、朝鮮人の好みに合わせてみな改造するようにといった。
そして主席は現在、不足している労働者たちの住宅を早く解決し、労働者たちの生活に深い関心を払って、彼らがいささかの不便もなく暮らすようにすべきであると、それで今年の計画を遂行する上で興南の労働者階級が先頭に立つべきであると述べた。
興南の労働者階級にほどこす主席の熱い愛と恩情に住宅係長は感動した声で、主席が定めてくれた地区に労働者たちの住宅を建設すると申し上げた。
主席が空気の良いところに自分たちの住宅地区を定め直したという知らせを聞いた興南の労働者階級はその愛に報いようとこぞって奮起した。