チュチェ68(1979)年10月、蒼光通りの建設が始まった時であった。
通りの形成図案から住宅の形と階段の数にいたるまで具体的に教えていた金正日総書記は働き手たちに、朝鮮人民は昔から老人を敬い、誠実に父母に仕えてきた美しい風俗をもっているとし、こうした美風を生かして新設する住宅には老人ルームを別に予見すべきであると教えた。
続いて総書記は老人ルームだけでなく、世帯主ルーム、子供ルームも予見しすべての部屋を広くて爽やかでありながらも特色を生かして立派に設けるようにと強調した。
そして総書記はすべての部屋のオンドルを温水暖房にし、上席にはパイプを稠密に設置し、下座には次第にまばらに設置すべきであると、すると暖かいところの好きな祖母や幼児をもった母は上席で寝られるし、涼しいところの好きな人は下座で寝られるようにするなど、家族みんなが自分の要求に合わせて寝床を決めることができると具体的に教えた。
一家の構成員がみな自分の要求に即して寝床も決めるようにする総書記の暖かい措置によって、蒼光通りだけでなくその後、新たに建設される通りには老人ルーム、世帯主ルーム、子供ルームなど3-4間の部屋をもつ高層住宅が雨後の竹の子のように建設されるようになった。