チュチェ29(1940)年8月に行われた小哈爾巴嶺会議で偉大な
みんな驚きを禁じえなかった。誰もが日本帝国主義の大規模な「討伐」攻勢にどのように対処すべきかを模索していた時であった。それだけに朝鮮人民革命軍は1930年代末から1940年代の初期にかけて最も厳しい難関を経ていた。
ところが、主席はすでに祖国解放の作戦を練っていたのである。
主席は会議でわれわれが朝鮮人民革命軍の力量を保持、蓄積しながら彼らを有能な政治・軍事幹部にしっかり育成してこそ、日本帝国主義者との最後の決戦を成功裏におこない、輝かしい勝利を収めることができ、彼らを根幹にして解放された祖国の地上に新しい朝鮮を建設できると述べた。
主席が示した祖国解放の大事を主動的に迎えるための新たな戦略的方針は、抗日革命の最後の勝利を早めるための革命的で積極的な闘争方針であった。