偉大な
「社会主義の本質的な優越性はあらゆるものが人民大衆に奉仕するということにある。」
あらゆるものが人民大衆に奉仕するというのは、社会主義社会における党と国家のすべての活動が人民大衆に真の自由と権利、豊かで文化的な生活を保障するために服従するということである。
資本主義社会では、国家が人民の生活に責任を持たず、勤労人民大衆が初歩的な自由と権利さえ奪われて、人間以下の虐待と蔑視を受ける。
しかし社会主義社会では、党と国家のすべての活動が徹底的に人民大衆に真の自由と権利を保障し、人間本来の要求にかなった自主的で創造的な生活を全面的に保障することに服従されている。
何よりも社会主義社会では、党と国家のすべての活動が人民大衆に真の自由と権利を保障することに服従されている。
真の自由と権利を実質的に保障することは、社会的存在としての人間本来の要求を実現するうえで重要な問題として提起される。
自主的権利は、社会的存在である人間の第一の生命である。
人間は自主的権利を持つ時にのみ、社会で主人の地位を占めて主人としての役割りをはたすことができ、人間らしく生きることができる。たとえ生きているが、自主的権利を持たなければ、社会的人間としては死体にほかならない。
従って、自主的権利は自主性を生命とする社会的人間において最も大事なことである。
人民大衆の真の自由と権利は、どの社会でも保障されるのではない。
社会主義社会でのみ、党と国家の指導と配慮のもとで真の自由と権利が実質的に保障される。
社会主義社会において、党と国家のすべての活動は人民大衆の自由と権利を保障することに奉仕する。
社会主義社会において、党と国家は人民大衆の自主的な志向と要求、意思を反映して路線と政策をたて、人民大衆の利益に即して、それを執行することを鉄則とする。
そして、社会のすべての構成員が国家管理と社会政治活動に自由に参加し、政治組織生活を行うことができる法律的、社会的条件を十分に保障する。
そうして、社会主義社会ではすべての人々が社会主義的政治生活を通じて真の政治的自由と権利を実質的に享受し、集団の信頼と愛のもとで自己の政治的生命を輝かし、人間らしく生きている。
しかし、勤労人民大衆の尊厳と人格が資本の特権と専横によって無残に踏みにじられる資本主義社会では、人民大衆が自由と権利を奪われて人間らしく生きることができない。
資本主義社会では、反動的支配階級の意思に従って政策をたて、執行し、彼らにのみ自由と権利が保障される。
資本家階級は、反動的で、反人民的な暴圧機構を発動して人民大衆が真の代表を選出することができないようにし、あらゆる手段によって大衆を欺瞞し、買収して資本の手先らが国家機関に選出されるようにしている。
ブルジョア議会制度の歴史が数百年が過ぎっても、まだ社会において圧倒的な多数を占める勤労人民大衆の代表が選挙を通じて国家機関に選出されたり、人民大衆の代表が議会に選出された例がないと言う一つの事実を通じてもよく分かることができる。
ひとえに、党と国家のすべての活動が人民大衆の自由と権利を保障することに徹底的に奉仕する社会主義社会でのみ、真の自由と権利を享受し、人間らしく生きることができる。
次に社会主義社会では、党と国家のすべての活動が人民大衆に豊かで文化的な生活を保障することに奉仕する。
自然の束縛から脱し、豊かで文化的な生活を享受しながら何うらやむことなく生きようとするのは、社会的人間の本質的要求の一つであり、人民大衆の世紀的な念願である。
人間の本質的要求に合う豊かで文化的な生活は、党と国家が人民の生活を担い、保障する社会主義社会でのみりっぱに実現することができる。
社会主義社会では、党と国家が人民の食衣住に必要な条件を保障している。社会主義社会では、すべての勤労者たちが安定された働きの場所で自分の能力と素質に従って、社会と自分自身のための創造的労働に参加することができるように、労働の権利と条件を保障し、彼らが労働の結果によって分配を受けることができるように政策を立て、執行していく。
そして、社会保障制、社会保険制、静休養制など国家的および、社会的負担による人民的施策を通じてすべての人々が党と国家の配慮のなかで幸せに暮らしている。
しかし、私的所有に基づいている弱肉強食の原理が支配する資本主義社会において、国家が人民の生活を見守ることは考えられない。
資本主義社会において、人民大衆は人間以下の虐待と蔑視を受け、資本家の利潤追求のための骨の折れる労働を強いられ、人民大衆が創造した物質的富は、資本家の手中に掌握されている。
資本主義社会では、人間の初歩的な権利である労働の権利さえ奪われ、失業者大軍が常に存在している。
現時期にも、資本主義社会では絶対多数の勤労者が失業と貧窮の中に深く陥り、彼らの境遇はさらに悪化されている。
人民が自主的で創造的な生活を享受しながら生きることは、党と国家のすべての活動が勤労大衆に豊かで文化的な生活を保障することに服従されている社会主義社会でのみ、実現される。