20世紀の初頭に朝鮮を完全に自らの植民地と転落させた日本帝国主義は、暴力手段に依拠して朝鮮人民の初歩的な権利と自由も奪い、過酷な搾取と抑圧、収奪を強要し、無辜の人民を検挙、投獄、虐殺した。日本帝国主義の植民地支配に反対して朝鮮人民は反日民族解放運動を展開した。反日義兵運動と愛国文化啓蒙運動を行い、暴力的形態の大衆闘争も展開し、大国に独立を請願したりもした。しかしこのような方法では日本帝国主義を打倒して祖国を解放することができないというのが、朝鮮人民の反日民族解放運動が残した歴史的教訓であった。
朝鮮人民の反日民族解放運動の歴史的教訓と植民地民族解放闘争の合法則的要求を洞察した
抗日武装闘争路線はその後、延吉県明月溝会議でより具体化された。
抗日武装闘争路線はまず、遊撃戦の形式を基本にして武装闘争を展開することについて明らかにした。
遊撃戦を基本形式にするという武装闘争路線は、先行した理論とは異なって植民地民族解放戦争の新たな道を示した独創的で現実的な路線であった。
路線は遊撃戦の形式で武装闘争を展開するためには、反革命武力を撃破しうる自らの革命武力―反日人民遊撃隊を組織し、武装を自分の力で解決すべきであると明らかにした。
抗日武装闘争路線はまた、いかなる国家的後方や外部からの支援もなしに武装闘争を展開する条件のもとで、自らの強固な軍事的基地、後方基地として解放地区形態の遊撃根拠地と半遊撃区を創設すべきであると明らかにした。同時に各階層の広範な人民大衆を教育し実践を通じて鍛錬させて革命組織に結束することにより、武装闘争の大衆的基盤を固め、朝中人民の反日統一戦線を形成すべきであると明らかにした。
路線は抗日武装闘争を成功裏に展開するために、各地域に党組織を結成してその前衛的役割を高め、共青活動も強化することについて明らかにした。
抗日武装闘争路線が提示されたことにより、朝鮮における反日民族解放運動は正しい思想と路線によって導かれる組織的な武装闘争段階に入るようになった。