革命的大衆観とは人民大衆を革命の主人とみなして人民大衆に奉仕し、人民大衆の限りない力を信じその力に依拠して革命をおこなう観点と立場である。
革命的大衆観は何よりも人民大衆を革命の主人とみなし人民大衆に奉仕する観点と立場である。
人民大衆を革命の主人とみなすことは革命を求めるのも人民大衆であり、革命と建設を直接担当し遂行するのも人民大衆であるという観点をもつことを意味し、人民大衆のために献身的に奉仕するということは人民大衆の要求と利益を重んじ擁護してその実現のためにすべてをささげてたたかうことを意味する。
革命の主人はどこまでも人民大衆であり、革命は人民大衆が自らの自主性を実現するために自分の力でおこなう闘争である。人民大衆は唯一自分の闘争を通じてのみ新しい社会を建設し自主的で創造的な生活を営むことができる。それは革命の主人、革命の直接的な担当者がほかならぬ人民大衆であることを意味する。
人民大衆が革命の主人であるという観点から人民大衆のために献身的に奉仕する立場が生まれる。
人民大衆が革命の主人であるため、人民大衆の要求と利益を尊重しそれを徹底的に擁護し実現するために献身的にたたかうことは革命家の当然の姿勢となる。
人民大衆を革命の主人とみなし、人民大衆のために献身的に奉仕する観点と立場は大衆を見下ろし、号令し自分を大衆の上に君臨した特殊の存在のように思い、権勢と官僚主義に走ることとは根本的に対立する。
革命的大衆観は次に人民大衆の力を信じ、その力に依拠して革命をおこなう観点と立場である。
人民大衆の力を信じるということは人民大衆をこの世でもっとも聡明で英知ある威力な存在とみなすことを意味し、人民大衆の力に依拠して革命をおこなうということは人民大衆を組織動員して革命と建設におけるすべての問題を解決することを意味する。
人民大衆はこの世でもっとも強力な存在である。
個人はいくら聡明で有能であっても人類が歴史的に蓄積しておいた知恵と力の極制限された部分のみを体現しているだけである。ただ人民大衆のみ人類が成し遂げたすべての財貨を全面的に体現しており、自然と社会、人間自身を改造して自らの運命を自分の力で開拓することができる。
それゆえ、革命をおこなうためには人民大衆の力を信じ、それに依拠する道しか他の道はないし、そのためには大衆を意識化、組織化して呼び起こすための活動をりっぱにおこなうべきである。
人民大衆の力を信じ、それに依拠して革命をおこなう観点と立場は、大衆の力を信じないことから生まれる事大主義と悲観主義、敗北主義とは根本的に対立する。