ロシア・ロストフ
ドミトリー・レミゾフ
21世紀の前半期である今日、世界人民の前には再び帝国主義の支配を粛清すべき課題が提起されています。この課題は20世紀末に世界の反動派が一時的に台頭して社会主義諸国が崩壊した事件があった後、新たに提起されました。新しい条件で反帝闘士たちは帝国主義者たちを成功裏に撃退した20世紀の革命先輩の経験を研究しなければなりません。
偉大な革命家の間で特出した地位を占める方は朝鮮民主主義人民共和国の創建者である偉大な
偉大な
この言葉は私的所有に基づいた制度の衰退没落を悟り、資本主義を批判的にたいする現代の青年たちにとって極めて重要な意義をもちます。多くのインテリは資本主義世界に対して懐疑的に思いながらも、残念ながら友人同士で、そしてインターネット上で対話を交わし、論争をすることにとどめています。このように狭い範囲での資本主義制度にたいする批判は何の用にも立ちません。
諸問題の過程や趣旨、歴史発展の法則を知っているとしても、その知識を実践に適用しないならば、主にはその過程を正しく導こうと努力しないならば、それが何の必要があるのでしょうか?
裏部屋から飛び出て抗争と闘争の道に立つのが共産主義者の人生です。
革命闘争の道に立つともはや新しい人間になります。そういう人間は凡俗な生活と決別します。昨日は好感を与えていた人たちが今日はバリケードの向こう側に立っているかも知りません。それは彼らが階級の敵の側だからであります。個人的な好感が革命と因縁がないものならそれを捨てなければならず、任意の人間にたいする観点は彼が決戦の時刻にどの側に立つかを見てもたなければなりません。
偉大な
革命家の一歩一歩は人類の解放のための闘争にささげられます。さらに自由のためにたたかう闘士は日常生活を革命勝利の偉大な目的の上に置いて私生活、家庭生活に埋もれてはいられません。家庭は社会生活をする上で邪魔になれず、邪魔になってもなりません。かつては闘士であったが、現在は俗物となって社会生活から離脱すれば、そういう人間は同情心以外にいかなる他の感情も呼び起こすことができません。そういう人は虫けらのような俗物になります。
人間であれば、そのような俗物となってはなりません。
偉大な
革命家にとって自分を「蒙昧な大衆」と異なる特殊な存在として考えるのは大きな誤りです。最初は前衛部隊が闘争に奮い立ち、その次には広範な大衆がついていくのが歴史発展の法則です。今日は事象の過程の本質を理解しなかった人たちも革命思想を受け入れれば明日は領袖のアピールに従って闘争に奮い立つようになります。
これが主席の政治活動の成果を保証しました。
偉大な
マルクスとレーニンが理論を展開していた時には教育が「精鋭教育」となっていました。19世紀から20世紀初めの間のツァーリ・ロシアでは平民出身はただ教会付属の小学校で数年間勉強することができただけです。
20世紀に世界の情勢は変わりました。教育はより民主化され、平民出身の青年たちも大学で勉強をするようになりました。
青年前衛たちに依拠するというのは決して前世代の闘争伝統を忘れることを意味するのではありません。むしろ前世代の経験は誤りを犯すことなくまっすぐに前進していくようにします。
新しい21世紀に