祖国平和統一委員会の責任幹部、祖国統一汎民族連合北側本部メンバーとの談話
1991年8月1日
昨年、祖国解放45周年を契機に催された祖国の平和と統一のための汎民族大会についで、今年再び、8・15を契機に第2回汎民族大会が催されることになりました。祖国が解放された意義深い日を迎えて、汎民族大会とさまざまな民族共同の統一祝祭を催すのはよいことだと思います。われわれは、このたび予定されている行事が成功裏におこなわれ、民族の大団結をなしとげ、祖国の統一を促進するうえで重要な契機となるよう積極的に努力すべきです。
わが国の統一問題は、人為的に分裂した民族の血脈をつないで民族の和合をはかる問題であり、全国的範囲で民族の自主性を実現する問題です。いいかえれば、祖国統一の問題は、わが同胞の運命にかかわる問題であり、朝鮮民族の生命にかかわる問題です。
周知のとおり、わが国の分断は朝鮮民族内部の矛盾によってもたらされたのでなく、もっぱら外部勢力によって強要されたのです。第2次世界大戦の終結後、朝鮮問題がわが民族の自主的要求と意思に反して列強の利害によって処理され、アメリカが南朝鮮を占領した結果、わが国は北と南に分断されました。朝鮮の統一がこんにちまで実現されず遅延しているのも、外部勢力の干渉と妨害策動がつづいているためです。
わたしは国が分断された以後の半世紀間、一日として朝鮮民族の不幸と災難について忘れたことがなく、わが祖国の統一について考えなかった日がありません。祖国統一の課題を次代に受け継がせてはなりません。われわれは必ず、われわれの世代に祖国を統一しなければなりません。祖国を統一するのは全朝鮮民族の最大の願いであり、わが民族にとって祖国を統一することよりさし迫った課題はありません。
わが国の統一は必ず自主的に、平和的に実現すべきであり、そのためには全民族の大団結をなしとげなければなりません。祖国を自主的に、平和的に統一する問題は、朝鮮民族の大団結をぬきにしては考えられません。民族の大団結は、祖国の自主的平和統一の根本的前提であり、また本質的内容をなしています。祖国統一偉業の実現において一にも二にも三にも重要なのは、朝鮮民族の大団結をなしとげることです。
いかなる運動においても、主体を強化し、その役割を高めてこそ、勝利することができます。これは革命のもっとも大切な真理であり、長期にわたる革命闘争の過程で信念となったわれわれの哲学です。
祖国統一の主体は全朝鮮民族です。祖国の統一はわが民族の自主的偉業であり、祖国の統一を実現する力は朝鮮民族の主体的力量です。朝鮮民族は誰もが祖国統一の主人であり、したがって、祖国統一をめざす闘争で主人としての責任と役割を果たさなければなりません。朝鮮民族が祖国統一の主体としてその責任と役割を果たすためには、一つにかたく団結しなければなりません。主体の偉力はほかならぬ団結の偉力なのです。全民族が一つにかたく団結して統一の主体を強化するところに、祖国を自主的に、平和的に統一する決定的な保証があります。
全朝鮮民族は、民族大団結の旗のもとに、祖国愛と民族自主精神にもとづいてかたく団結すべきです。
民族は歴史的に形成され発展してきた、人びとの強固な集団であり、社会生活の単位です。人びとは歴史的に国家と民族を単位にして生活を営み、共同で運命を開いてきました。民族問題は本質において、民族の自主性を擁護し実現する問題です。自主性は人間の生命であると同時に、国と民族の生命です。人間が自主性を失えばしかばね同然であるように、民族も自主性をぬきにしては、その存在と発展について考えることができません。
国と民族の自主性が実現されてこそ、個々の人間の自主性が実現されるのであり、国と民族が他国に従属すれば、誰であれ亡国の民の境遇をまぬがれることができません。それは、国と民族の生命のなかに民族の一員としての個人の生命があるからです。こういう理由からして、民族は異なる階級と階層からなっていても、人びとは祖国を愛し、民族の自主性を尊び、国と民族の自主性のために団結してたたかうのです。人びとが自分の祖国を愛し、自民族の自主性を尊ぶのは、民族の一員としてもつようになる共通の思想・感情です。
そもそも、民族主義は民族の利益を擁護する進歩的思想として発生しました。新興ブルジョアジーが民族主義の旗をかかげて民族運動の先頭に立ったのは確かですが、だからといって、民族主義が最初から資本家階級の思想であったとみることはできません。封建主義に反対するブルジョア民族主義運動の時期には、人民大衆の利益と新興ブルジョアジーの利益が基本的に合致し、したがって民族主義は民族共通の利益を反映していました。その後、資本主義が発展し、ブルジョアジーが反動的支配階級となってからは、民族主義は資本家階級の利益を擁護する思想的道具となりました。ブルジョア民族主義は、心から民族の利益を擁護する真の民族主義とは相反する思想です。民族の寄生虫といえる無為徒食のやからが民族主義を唱えて民族主義者を自称するのは、一つの欺瞞にすぎません。精神労働であれ肉体労働であれ、自民族のために有益なことをする人であってこそ、真の民族主義者となれるのです。
単一民族国家であるわが国において、真の民族主義はすなわち、愛国主義につながります。長い歳月、同じ領土で同じ血筋を引き、一つの言語をもって輝かしい民族文化を開花させてきた朝鮮民族は、愛国心が強く、自主精神が高い民族です。朝鮮人民はつねに祖国を熱烈に愛し、国と民族の自主性を守るため力強くたたかってきました。これは朝鮮民族の誇るべきです。
わたしの父は、早くから「志遠」の思想を示し、わたしたちを愛国主義思想、民族自主思想で教育しました。それでわたしは、最初から国と民族の運命を救うため一生をささげる覚悟でたたかいの道に立ちました。わたしの革命活動は民族解放闘争からはじまったのであり、民族の主体、革命の主体をうち立てるためにたたかう過程で、朝鮮革命の指導思想であるチュチェ思想を創始しました。わたしはこんにちまで一生、朝鮮民族の自主独立と繁栄のために、人民大衆の自主性のためにたたかってきました。いうまでもなく、わたしは朝鮮人民の自主性だけでなく、世界諸人民の自主性をともに擁護し、わが国のみでなく世界的範囲で人間による人間の搾取と抑圧をなくすためにたたかっています。自分の父母兄弟を愛することのできない人が国と民族を愛せるとは考えられないように、自民族の運命に無関心な人が世界革命に忠実であろうはずはありません。わたしがつねに話していることですが、真の愛国者であってこそ、世界革命に忠実な真の国際主義者になれるのです。そういう意味で、わたしは共産主義者でありながら、愛国者であると同時に国際主義者であるといえます。
国と民族を基本単位にして人民大衆の運命が切り開かれていく歴史発展の現段階では、当然、民族の主体を確立し、民族共通の利益と繁栄のために全民族が団結してたたかうべきです。われわれは民族の大団結にもとづいて祖国の統一を実現するだけでなく、祖国の統一後も、全民族の統一団結した力によって人民の理想社会を建設し、この地で全人民がともにかぎりない幸福を享受できるようにすべきです。
自主性を民族の生命とし、全民族が団結して民族の自主性を擁護し実現し、民族共同の繁栄を築くというのが、われわれの主体的民族観だといえます。
われわれは、帝国主義に反対する闘争においても、社会主義を建設する闘争においても、つねに人民の団結した力を信じ、それに依拠する原則を堅持してきました。民族の利益を第一とし、人民の団結した力に依拠してたたかったところに、われわれがこれまでの革命と建設で勝利をおさめた要因があるといえます。
祖国の解放をめざす抗日革命闘争でわれわれが勝利をおさめたのは、抗日遊撃隊と人民が血縁的に結びつき、すべての反日愛国勢力がかたく団結してたたかったからです。われわれは抗日革命闘争の時期、各階層の愛国的人民を反日民族統一戦線に結集して、民族の団結した力をもって日本帝国主義と戦いました。1936年に結成された祖国光復会は、日本帝国主義に反対し、国の独立を志向する広範な愛国的人民を結集した反日民族統一戦線組織でした。祖国光復会には、共産主義者と民族主義者、労働者、農民、知識人、青年学生、そして良心的な民族資本家と宗教家をも含めた各階層の反日愛国勢力がすべて結集しました。広範な反日民族統一戦線に依拠して抗日革命闘争を展開する過程で、民族団結の伝統が築かれました。
われわれは解放後、新しい社会を建設するたたかいにおいても、民族の大団結をなしとげることに主力をそそぎました。わたしは祖国の解放をなしとげた後に人民におこなった演説で、国と民族を愛し、民主を愛する全人民が一つにかたく団結して、力のある人は力で、知識のある人は知識で、金のある人は金で、建国事業に積極的に貢献するよう呼びかけました。われわれは各階層の人民の団結した力に依拠して、民主的な新しい祖国の建設と社会主義建設を力強くおし進めました。社会主義を建設する目的は、搾取と抑圧のない社会で全人民がともに幸せで誇りある生活を営めるようにすることにあります。われわれが建設する社会主義社会は、文字どおり人民大衆中心の社会主義です。人民大衆中心の社会主義というのは、全人民が国の主人となり、社会のすべてのものが人民大衆に奉仕する、真の人民の社会であるという意味です。人民大衆に奉仕しない社会主義は建設する必要がなく、また、人民大衆の団結をなしとげずには、人民大衆中心の社会主義は建設できません。
われわれが祖国を統一しようとするのも、朝鮮民族の自主性を実現し、民族共同の発展と繁栄をもたらし、全朝鮮民族が統一した一つの祖国で、ともに幸せに誇りをもって暮らせるようにするためです。それゆえ、祖国を統一するたたかいで全民族が心を合わせ、一つに団結するのは当然なことであり、またそれは十分実現できることです。
1948年に平壌で南北朝鮮の政党、大衆団体の代表者連席会議が開かれましたが、われわれは当時、民族にとって切実な問題として提起されていた当面の救国対策と祖国統一の問題を討議するためにこの会議を招集しました。会議には、南朝鮮から李承晩の直系政党を除いては、ほとんどすべての政党、大衆団体の代表が参加しました。「韓国独立党」の党首であった金九も会議に参加しました。
金九についていえば、かれは解放前、「上海臨時政府」にいて共産主義者を敵のようにみなしていた人ですが、民族の運命にかかわる重大な問題について、同じ民族として一堂に会して虚心坦懐に討議しようというわれわれの正当な提案に共感して会議に参加し、結局、連共連合の道に立ちました。金九は真の共産主義者がどういう人間であるか知らなかったのですが、国と民族を愛する愛国者でした。かれは南北連席会議でりっぱな演説をし、南朝鮮に帰ってからも民族の団結と祖国統一のためにたたかい、アメリカとその手先によって暗殺されました。歴史的な4月南北連席会議は、思想と理念が異なり、政見と信教に違いがあっても、民族共同の偉業をめざす闘争においては、誰でも団結できるということをはっきりと示しました。
朝鮮民族の自主偉業を実現する道で築きあげた民族団結の伝統と経験を生かし、全民族が和合し団結してたたかうならば、民族至上の課題である祖国の統一は必ず実現することができます。
全民族が和合し一つに団結するならば、それがすなわちわれわれの願っている祖国の統一です。祖国を統一するうえで基本となるのは、手順や方法上の問題ではなく、全民族の真の和合と団結をなしとげることです。北と南の全人民と海外同胞が心を一つに合わせ、それにもとづいて民族の大団結をなしとげるならば、祖国統一の実現で基本問題が解決されることになり、この問題が解決すれば、他の諸問題は容易に解決されるでしょう。
最近、民族の団結をはかる活動にはかなりの前進がみられます。昨年は、8・15汎民族大会の開催についで汎民族統一音楽会が開かれ、北と南の統一サッカー競技と芸術祭もおこなわれ、今年は、北と南が統一チームを組んで世界卓球選手権大会とワールド・ユース・サッカー選手権大会に共同で出場しました。これはすべて、朝鮮民族の統一への熱望がかつてなく高まり、民族の和合と団結の気運が高まった結果としてもたらされたものであり、これに北と南、海外の同胞はともに喜びを感じ、民族的誇りと自負を感じました。このように全同胞の心がしだいに一つになれば、結局、全民族の大団結がなしとげられ、祖国の統一は実現されるでしょう。南朝鮮の文益煥牧師が、もはやわが民族は統一された、統一は完了形である、と語ったのも、こういう意味で語ったことだろうと思います。
われわれが一つの民族、一つの国家、二つの体制、二つの政府にもとづく連邦制方式の祖国統一方案を主張するのも、真の民族の和合と統一を実現するためです。わが国の北と南に相異なる思想と体制が存在している状況のもとで、民族の和合と統一をなしとげる道は、連邦制方式以外にありません。わが国の現状において、一方が他方を併呑する方法で統一を実現しようとするのは間違っています。思想と体制は誰かの強要によってではなく、人民がみずから選択すべき問題です。一方が他方に思想と体制を強要する方法では、民族の統一を実現することができないばかりか、かえって民族内部の対立を激化させ、新たな民族的災難をまねくことになるでしょう。民族内部の思想と体制の違いは、強制的方法でなく、民族共通の利益にもとづき民族の団結を強める方法で徐々に克服していかなければなりません。こんにち、もっとも切実な民族共通の利益は、外部勢力の支配と干渉から完全に脱し、民族の統一をなしとげることです。民族内部の思想と体制の違いがあっても、一つの民族として統一を実現することができ、民族共同の繁栄のために互いに協力することができます。
朝鮮民族は北と南、海外のどこに住もうと、また、労働者、農民、知識人、青年学生、政治家、経済人、宗教家、軍人を問わず、すべての人が民族共同の偉業である祖国統一の実現をめざし、団結してたたかうべきです。朝鮮人民がかつて新しい祖国を建設するときにそうしたように、北と南、海外の各階層のすべての同胞が団結し、力のある人は力で、知識のある人は知識で、金のある人は金で、祖国統一の偉業に貢献しなければなりません。
労働者と農民、インテリは民族の基本的力量です。労働者、農民、インテリがそれぞれ自己の特色を生かしつつ、協力し団結するなら、民族の強力な自主的主体をなし、祖国統一の偉業を成功裏に遂行することができます。労働者、農民はインテリと力を合わせ、インテリは労働者、農民と運命を一つにすることによって、祖国の統一をめざすたたかいで主体としての役割を果たすべきです。インテリの役割を過小評価したり、かれらに偏狭な態度をとるのは間違っています。われわれは党を創立するとき、労働者、農民とともに、インテリをわが党の構成部分の一つと規定しました。わが党のマークにはハンマーと鎌と筆が描かれていますが、これはわが党を構成している労働者、農民、勤労インテリを象徴しています。われわれは解放後、新しい社会の建設に着手したとき、日本帝国主義に奉仕したからといってインテリを排斥したのでなく、かれらの愛国心と民族自主精神を信じ、積極的に包容しました。われわれは全国各地に散らばっていたインテリを国の宝とみなし、1人ひとり探しだして、新しい祖国の建設で重要な役割を果たすよう積極的におしたてました。わが国のインテリはわが党を信頼して慕い、党と運命をともにしてきました。かれらは新しい民主朝鮮の建設にその力と才能のすべてをささげただけでなく、アメリカ帝国主義の侵略に抗する祖国解放戦争(朝鮮戦争)にも参如してりっぱに戦い、戦後の社会主義革命と社会主義建設でも重要な役割を果たしました。
こんにち、南朝鮮のインテリも祖国の統一をめざしてりっぱにたたかっています。南朝鮮の青年学生は熱烈な愛国精神と不抜の反米・自主精神をもち、南朝鮮社会の自主化と民主化、祖国の統一をめざすたたかいで中核的かつ先導的な役割を果たしています。自主、民主、祖国統一のために貴い青春をなげうって英雄的にたたかっている南朝鮮の青年学生は、朝鮮民族の誇りとなっています。
南朝鮮には労働者、農民、インテリとともに、生活の経緯と生活条件を異にする人びとが少なくありませんが、そうした人びとも軽視してはなりません。われわれは、民族反逆者以外はすべての人を包容する原則で民族の団結をなしとげなければなりません。
宗教にたいする正しい理解をもち、宗教家との活動に力を入れることがきわめて重要です。人間が宗教を信じるのは、多くの場合、現世における苦痛と不幸を宿命的なものとして受け入れ、来世にでも幸せに暮らしたいという念願からです。ですから、宗教を信じる人を悪いとはいえません。悪いのは、人びとをして現実の生活に幻滅を感じさせる反人民的な政治であり、人民の自主意識を麻痺させ、自分の支配に従わせる手段として宗教を悪用している反動支配層です。進歩的な宗教家は、人びとが愛しあってむつまじく暮らすことを願っています。こんにち南朝鮮の宗教家は、外来侵略者がわが民族を人為的に分裂させ、統一を要求する人びとを銃剣をもって弾圧するのに反対しています。われわれは南朝鮮の宗教家が祖国統一のために献身していることを高く評価すべきであり、かれらと団結しなければなりません。
南朝鮮で、民族の息子、娘である青年が「国軍」に入隊して、アメリカ軍の指揮のもとにアメリカの新植民地主義的支配と民族分裂政策の道具として奉仕しているのは、胸の痛むことです。「国軍」の将兵が帝国主義者とその手先の反民族的かつ反人民的な正体をはっきり見ぬくよう、目覚めさせなければなりません。そうして、かれらが自民族と人民の側に確固と立ち、自主、民主、祖国統一をめざす道を父母兄弟とともに歩むようにするべきです。
わたしがつねに述べていることですが、統一は愛国であり、分裂は売国です。朝鮮民族として祖国の統一を願い、祖国統一のために努力する人は愛国者であり、外部勢力と結託して祖国統一に反対し、分裂を追求する人は売国奴です。こういう基準で、祖国統一を支持する人とはみな団結し、一つの隊伍で進まなければなりません。一時は祖国の統一に反対し、国と民族にたいして罪を犯した人であっても、過ちを反省し、祖国の統一をめざす愛国の道に立つなら、過去を問わず団結しなければなりません。
かつて民族に顔向けできない生き方をしてきた人のなかには、過去と決別して民族の団結と祖国統一をめざす愛国の道に踏み切った人が少なくありません。崔徳新先生はそういう人の1人です。
周知のとおり、崔徳新先生はかつて南朝鮮で「国軍」の軍団長をつとめ、「外務部長官」の職にもあった人です。かれは南朝鮮の軍部や政界の要職にあって親米反共の道を歩んできましたが、しだいに執権者の売国的で反統一的な振舞いに幻滅を感じ、民族のための真実の道を歩もうと海外に亡命しました。崔徳新先生は亡命生活のあいだ、南朝鮮社会の自主化、民主化の実現と祖国統一をめざす愛国活動を展開しました。かれは海外にいたとき何回かの祖国訪問過程をつうじて、どの道が真の愛国、愛族の道であるかを悟るようになりました。かれは、わが共和国が、自主、自立、自衛の国として朝鮮民族の高い誇りと尊厳を堂々と示している姿を見て感動し、祖国と民族を愛する人であれば過去を問わず、政見と主義主張、信教にかかわりなくすべて包容し、手をとってともに進む、われわれの正当かつ一貫した政策と民族大団結路線に共感するようになりました。かれは、民族主義者として、また天道教徒として、一生のあいだ憧憬し探し求めた地上の天国を祖国で見つけたといい、余生を祖国と民族のための正義の偉業にささげることを決心して、祖国に永住することを請願しました。崔徳新先生はかつてわれわれとは相反する道を歩んできましたが、過去と決別して祖国と民族のために再出発するという意思を表明したので、われわれはかれの希望を積極的に支持し、民族の大団結と祖国統一のために、ともに手をとって働くことにしました。かれは祖国のふところに抱かれたのち、天道教青友党中央委員会委員長として、祖国平和統一委員会副委員長として、祖国の隆盛発展と民族の大団結のために、祖国統一のために、息をひきとる日まで献身的に活動しました。崔徳新先生は、渇望した祖国統一の日を見ることなく他界しましたが、生涯の末期に祖国統一運動の隊伍に立って同胞とともに歩むことによって、人民に愛される愛国烈士として永遠の生命を保ち、内外の同胞に民族の和合と大団結の真意を悟らせました。
民族の大団結を実現するため、北と南、海外の各階層の同胞は思想と体制、信教の違いを超越して民族共通の利益を優先させ、祖国統一の偉業にすべてを服従させなければなりません。われわれはこれを民族の大団結を実現する根本原則とし、この原則を堅持しなければなりません。
民族の分裂によって一時的に形成された体制上の違いや思想と理念の違いよりも、5,000年の悠久な歴史をつうじて形成され強固になった民族の共通性のほうが大きく、個々の階級、階層の利害よりも、一つの民族として統一を実現するという民族共通の要求のほうがはるかに重要です。個々の階級、階層の思想と理念を擁護し、利益を実現するのが重要であるとしても、より重要なのは民族共同の偉業を実現することです。階級と階層は民族の一部分であるので、いかなる階級や階層も民族共通の利益をぬきにしては自己の利益を実現することができません。民族があってこそ階級があり、民族の利益が保障されてこそ階級の利益も保障されるのです。
外部勢力によってわが民族の自主性が踏みにじられているこんにち、朝鮮民族であればどの階級や階層も自己の利害にこだわって、民族共同の偉業である祖国統一の実現に支障をきたしてはなりません。狭小な利害と偏見にとらわれ、階級的利益を民族的利益の上に置いたり、階級的要求を実現するたたかいを祖国統一のたたかいと対置させてはなりません。まして、同じ民族同士が政見と主義主張の違いを口実に排斥したり、官権の力で弾圧し、思想と体制が違うからといって敵視するのは、北と南が共同で合意した民族大団結の原則に根本的に反するものであり、このような行為は民族に許されないことです。一つの民族として共通点にもとづいて団結せず、相違点を前面におしだして排斥し敵視するなら、朝鮮民族はいつになっても統一を実現することができないでしょう。
民族の大団結をなしとげるためには、北と南、海外同胞のあいだの接触と往来を頻繁にし、対話を積極的に発展させなければなりません。
全民族が共通の目的をめざして心と力を合わせるためには、民族内部に理解と信頼の雰囲気をつくりださなければなりません。国が分断されて北と南が長いあいだ隔絶状態にあったため、一部の人は同じ血筋を引いた同胞を敵と誤解しており、また一部の人は民族の団結を望みながらも、信頼の不足から同胞と手をとりあうのをためらっています。民族内部に存在するこのような誤解と不信を解消し、民族の和解と団結をはかるには、自由に往来して接触し、対話を活発におこなわなければなりません。
自由な往来と接触、幅広い対話を実現するうえで重要なのは、分断の障壁を取り除き、あらゆる政治的・法律的障害を排除することです。われわれはすでに、分断の障壁を取り除き、北南間の自由往来と全面開放を実現するという提案を示し、その実現のためにねばり強く努力しています。要は、南朝鮮当局が民族分裂の障壁を取り除き、北と南、海外同胞間の自由往来と接触、対話を阻んでいる障害をすべて取り払うことです。現在、北南間の自由往来と接触を実現し、対話を発展させるうえで、南朝鮮の「国家保安法」は大きな障害となっています。南朝鮮では、北を訪問したり、海外で北半部の人と統一論議をした人を「国家保安法」にかけて処罰しています。高齢70の文益煥牧師と年若い林秀卿学生をはじめ訪北人士と多数の統一運動者が現在、この法の犠牲になって投獄されています。このような悪法をそのままにしておいては、北南間の自由な往来と接触は実現されず、対話も自由におこなうことができません。それゆえ、「国家保安法」は一日も早く撤廃されるべきです。
民族の大団結をなしとげるためには、祖国統一のたたかいで全民族的な連帯を強化しなければなりません。
民族の大団結は口先で実現されるものではありません。民族の大団結は、祖国統一をめざすたたかいで心と力を合わせ、共同行動をくりひろげていく過程で実現され、強固になります。北と南、海外のすべての政党、団体と各階層の同胞は、祖国統一をめざすたたかいで支持声援しあい、共同歩調をとらなければなりません。
ここで第一義的に提起される重要な問題は、反統一勢力の民族分裂永久化策動と新たな戦争挑発策動を破綻させることです。北と南、海外の同胞は祖国統一を妨げている反統一勢力を孤立、弱体化させ、かれらの分裂主義的策動を粉砕するため、各種形態の共同闘争を積極的に展開しなければなりません。南朝鮮にある数万のアメリカ軍と1,000余の各種核兵器は、朝鮮半島の情勢を緊張させ、核戦争の危険をつくりだす根源となっています。われわれは一日も早く南朝鮮からアメリカ軍と核兵器を撤収させて、朝鮮民族の生存を脅かす核戦争の危険を除去し、朝鮮半島の平和のための確固とした保障をとりつけるべきです。北と南、海外のすべての同胞は、南朝鮮からアメリカ軍と核兵器を撤収させ、朝鮮半島を非核地帯・平和地帯にする全民族的なたたかいをくりひろげなければなりません。
民族の大団結をなしとげるためには、祖国の統一をめざしてたたかう北と南、海外のすべての政党、団体と組織、各階層同胞の組織的な連合を実現しなければなりません。
統一・愛国の志をともにするすべての同胞が連合して一つの隊伍に組織的に結集するときはじめて、強固な民族の団結が実現し、祖国統一をめざすたたかいで行動の統一と一致が保障されます。
全民族の組織的な団結を実現するためには、北と南、海外の各階層の同胞がともに自発的に参加できる組織がなければなりません。昨年、汎民族大会の決議によって発足した祖国統一汎民族連合がそうした組織になりうると思います。祖国統一汎民族連合は、国の自主的平和統一を志向する北と南、海外の愛国的な団体と組織、各階層人士の共同の努力によって結成されました。祖国統一汎民族連合は、自主、平和統一、民族大団結の3大原則にもとづいて祖国の統一を実現することを使命とし、北と南、海外同胞の共通の意思を代弁する愛国的な統一運動組織です。民族の大団結を実現し、祖国の統一を早めるうえで祖国統一汎民族連合がになっている任務と責任は重大なものがあります。これから祖国統一汎民族連合は同胞のあいだで隊伍をたえず拡大、強化し、祖国の統一を早める各種活動を積極的にくりひろげなければなりません。
祖国統一の前途にはまだ多くの障害と難関が横たわっていますが、われわれは祖国統一の明るい展望を確信をもって見通しています。
朝鮮民族の統一気運は非常に高まっています。北と南、海外の同胞は、1990年代に必ず祖国の統一を実現する決意で統一運動に力強く立ち上がっています。こんにちにいたっては、誰も祖国を統一しようという朝鮮人民の意志をくじくことはできず、いかなる力も祖国の統一をめざす朝鮮民族の激しい流れをおしとどめることはできません。朝鮮人民は全民族の団結した力で祖国統一の前途に横たわる障害と難関を取り除き、必ずや祖国の統一を実現するでありましょう。
祖国が統一されれば、朝鮮民族は尊厳ある強力な民族となり、わが国は7,000万以上の人口とさん然たる民族文化と強力な経済をもった自主独立国家として国際舞台に登場することになるでしょう。朝鮮民族は勤勉で英知に富む民族であり、わが国はうるわしく住みよい三千里錦繍江山です。全同胞が一つに団結し、祖国の統一が実現されれば、われわれには恐れるものも、うらやむべきものもありません。人民は朝鮮民族の英知と偉容を誇らしく示し、誰も朝鮮民族の自主権を侵すことができないでしょう。祖国の統一後、全民族が力と知恵を合わせて経済と文化を発展させるなら、わが国はさらに富強で文化的な国となり、平和と繁栄をめざすアジアと世界各国人民の共同偉業によりりっぱに寄与できるようになるでしょう。
こんにち、朝鮮民族として祖国の統一のために献身するのはもっとも誇らしく生きがいのあることです。祖国統一の聖なる偉業に貢献した人は民族に愛され尊敬され、統一された祖国の名で高く評価されるでしょう。
わたしは、みなさんが祖国統一の前哨で祖国と民族から負わされた栄誉ある任務をりっぱに遂行するものと確信します。