偉大な指導者
著作は、「1.時代と歌劇」「2.歌劇台本」「3.歌劇音楽」「4.歌劇舞 踊」「5.歌劇の舞台美術」「6.歌劇の舞台形象」からなっている。 本書には、「3.歌劇音楽」の中で「(4) 歌によって人間と生活を描くべきである」の原文を編集する。
目 次
(1) 歌劇には主題歌がなくてはならない
(2) 音楽とドラマを密着させなければ ならない
(3) 音楽劇の組み方で基本をなすのは 感情づくりである
(4) 音楽の線を明白にすべきである
(5) 音楽のスタイルを統一すべきである
4 歌によって人間と生活を 描くべきである
歌劇で人間と生活をリアルに描くためには、音楽
劇の組み方を上手にしなければなりません。
音楽劇の組み方とは、さまざまな音楽形式と手段によって人間と生活を劇的に表現する方法のことです。いいかえれば、音楽劇の組み方とは歌と管弦楽によってドラマを組み立てる表現方法です。
歌劇は多様な形式の歌と管弦楽によってつくられた音楽芸術のもっとも大きな形式です。一編の歌劇には、歌だけでも人物がうたうものとパンチャンでうたうものが数十曲にのぼり、多様な管弦楽曲があります。しかし、いくら歌が多く管弦楽曲が多様であっても、それが歌劇の主題と思想を明らかにし、人物の性格と生活を描くのにふさわしく組み合わされなくては意味がありません。歌劇の歌と管弦楽はドラマの要求と形象の論理にしたがって然るべきところに置かれ、感情と情緒の自然な流れをなすとき、はじめて強力な表現手段となります。歌と管弦楽を調和させてりっぱな劇形象を創造するかいなかは、もっぱら音楽劇の組み方にかかっています。
(1) 歌劇には主題歌がなくてはならない
歌劇音楽劇の組み方で重要なのは、歌と管弦楽に
よって人物を性格化することです。人物の性格化は、その思想・感情の世界を深く描きだすときにのみ実現します。歌劇は音楽と舞踊、美術、俳優の演技によって人間の思想・感情の世界を立体的に十分に描きだすことができます。要は、歌劇がもっている形象的可能性を生かし、どのように人物の性格を生き生きと描きだすかということです。
歌と管弦楽による人物の性格化で基本となるのは主人公の形象です。主人公は作品の種子と主題思想を集中的に体現し、事件の中心に立ってドラマを運ぶ人物です。文学・芸術作品では主人公が生かされてこそ、形象化の世界が深まり、作品の思想的・芸術的水準が高まります。 歌劇音楽劇の組み方では、主人公を生かすのに歌と管弦楽を集中させる原則を守るべきです。歌劇の歌はみなそれぞれの役をもっているので、その内容と情緒的ニュアンスが同じではありませんが、作品の種子の実現に服従すべきであり、主人公の性格描写に役立てられなければなりません。
歌劇における主人公の音楽的性格化を実現するうえで重要な位置をしめるのは主題歌です。主題歌は歌劇の主題と思想を明らかにし、主人公の性格を生かし、ドラマを発展させ、スタイルを統一させるうえで中軸の役割をする歌です。いいかえれば、歌劇音楽を代表する歌が主題歌です。歌劇には多くの歌がありますが、それがすべて種子の解明に直接参加するわけではありません。歌によって時代相を強調するものもあれば、場面の状況を説明するものもあり、また自然の美しさと季節の移り変わりを描くものもあります。そうした歌のなかで、歌劇の種子と主人公の性格的特徴をもっともはっきり体現し、ドラマの進展にとって中軸の役割をする歌が主題歌です。
主題歌は名歌詞、名曲であるべきです。主題歌の歌詞は、作品の主題と主人公の思想・感情を含蓄のある詩語で豊かに表現したものでなくてはならず、曲も歌詞の深い意味をもりこんだ清新で洗練されたものでなくてはなりません。主題歌は歌詞と曲が他の歌よりも哲学的深みがあって美しく、完璧なものでなくてはなりません。
主題歌は歌劇の重要な契機ごとにドラマを連結し、上昇させる力をもっていなければなりません。こういう歌であってこそ、主人公の精神的・道徳的品性と性格を生き生きと描きだすことができ、音楽劇を組むうえで中軸の役割を十分に果たすことができるのです。
歌劇では主調歌も上手につくらなければなりません。主題歌だけでは主人公の性格を全面的に深く描きだせません。歌劇には主題歌とともに主調歌もなければなりません。主調歌とは、歌劇の人物の線と事件の線を展開するうえで主題歌に劣らず重要な役割を果たし、主人公をはじめ主要人物の性格と主題思想の解明に寄与する歌のことです。歌劇には主人公を中心にいくつかの人物の線と事件の線がからみあっており、そうした事件の線が発展する過程で主人公をはじめ人物の精神世界が明らかにされてドラマが深化し、主題思想が解明されます。主調歌はいくつかの人物の線と事件の線をそれぞれ受け持ち、それを一つの流れとして運びながら主人公と主要人物の性格を明らかにし、主題思想の解明に寄与します。革命歌劇『血の海』に出てくる歌『乙男よ 泣くな』は、幕が上がると同時にうたわれはじめ、乙男が敵の凶弾に倒れる場面まで何回となくくりかえされながら、親子のあいだにゆきかう熱い情愛の線を一貫して運び、主人公の革命的世界観の形成過程を奥深く解明しています。また歌『女性もみんなで力を合わせれば』は、主人公のオモニが革命組織から初の任務をうけて城市に向かう場面からはじまって、遊撃隊援護の場面、鉱山村の婦女会員の会合の場面でくりかえされながら、革命に目覚めたオモニの性格成長の過程を示し、団結の思想を力強く強調しています。このように主調歌は、主人公をはじめ主要人物の行動の線とドラマの基本的事件の線でうたわれながら歌劇の主題と思想を深め、主人公と主要人物の性格を各側面から浮き立たせ、ドラマの進展を力強く促します。主題歌を歌劇音楽の中軸だとすれば、主調歌はその中軸の支えの役割をする第二、第三の主題歌といえます。したがって歌で主人公をはじめ人物を性格化するためには、主調歌を上手につくって効果的に使わなければなりません。
主人公を性格化するためには、当人がうたう最初の歌を印象深く使うことが大切です。主人公の最初の歌は、ドラマの時代的環境と主人公の生活境遇、志向を示し、その性格的特質を基礎づける役割をします。したがって、主人公の最初の歌はわかりやすく、しかも印象深いものでなくてはなりません。 歌劇の主人公を生かすためには、他の人物の性格も音楽的に上手に表現しなければなりません。人間はつねに社会的関係のなかで生活を開拓しきずいていくものです。文学・芸術作品に登場する主人公も、他の人物と交わる過程でのみ、その存在をあらわすことができます。文学・芸術作品で主人公を引き立てようとして、他の人物の取り扱いをおろそかにしてはいけません。主人公にのみすばらしい歌をうたわせ、他の人物には平凡な歌ばかりうたわせては、主人公を生かすことができません。歌劇では主人公だけでなく、他の人物の内面世界もみな歌と管弦楽で深く表現してこそ、人物の性格化を十分に実現することができるのです。
(2) 音楽とドラマを密着させなければならない
歌劇で音楽とドラマを密着させることは、音楽劇
の組み方の重要な課題の一つです。
歌劇の思想的内容はストーリーをとおして展開され、人物の動作によって明らかにされます。ストーリーと人物の動作をぬきにしては歌劇の思想的内容について考えることができません。歌劇のストーリーは人物のせりふによって展開されるのでなく、歌によって展開され、人物の動作も歌のやりとりのなかで進行します。そのため、歌劇の創作では音楽とドラマをうまく密着させることが重要な問題となります。
創作実践において音楽とドラマを密着させるのは、容易なことではありません。歌劇において音楽を生かそうとして、ドラマのシチュエーションを無視して音楽だけ長びかせることはできず、ドラマを生かそうとして人物の動作やせりふばかり多くすることもできません。いくらすばらしい音楽でも、ドラマに密着しなくては音楽も生かされず、ドラマも生かされなくなります。従来の歌劇では、音楽とドラマをうまく密着させることができませんでした。歌劇で音楽とドラマを密着させる問題は、歌を有節化し、パンチャンを取り入れた『血の海』式歌劇の創造によってりっぱに解決されました。
歌劇において音楽とドラマを密着させるためには、
叙情的なものと劇的なものを結合させる問題を正しく解決しなければなりません。『血の海』式歌劇では、多様な機能を果たす有節歌謡にもとづいて人物の性格と劇的シチュエーションを叙情的に描写するだけでなく、叙事詩的にも劇的にも描写するので、音楽とドラマをたやすく密着させることができます。また、パンチャンが舞台歌唱ではこなしきれないさまざまな機能を果たしながら人物の動作とシチュエーションを客観的に描写し、ドラマを力強くおし進めるので、音楽とドラマをたやすく密着させることができます。
歌劇において音楽とドラマを密着させるためには、歌と管弦楽を場面にふさわしく使わなければなりません。場面は劇構成の基本単位であり、人間関係が結ばれ、事件がくりひろげられ、ドラマ進展の要素が集中している一つの劇的な局面です。場面と場面が自然につながって人間関係が深まり、ドラマがたえまなく発展して人物の性格が明らかにされ、主題と思想の解明がなされます。場面が劇的にととのい、芸術的に洗練されてこそ、ドラマのたえまない発展が可能になります。したがって、作曲家は歌劇の各場面を音楽劇的場面として描出するのに力をそそぐべきです。
歌と管弦楽を場面の内容と劇的シチュエーションにふさわしいものにするためには、人物の性格にぴったりした歌、事件の情緒的ニュアンスにふさわしい音楽を使わなければなりません。いつどこにでもあてはまる歌というのはありません。歌劇では、人物の性格に合い、劇的シチュエーションにふさわしいニュアンスの音楽を必要とします。歌劇に歌は多くても、その人物の性格に合い、その事件とシチュエーションにふさわしい歌はただ一つだと考えるべきです。 音楽とドラマを密着させるためにはまた、歌と管弦楽を劇的な契機とシチュエーション、人物の感情の変化によって多様な手法で、うねりをつくって使わなければなりません。場面の音楽的形象は、生活の論理にかなっていながらも、多様なうねりがなくてはなりません。場面の音楽にうねりをもたせるためには、場面のどこに歌をうたわせ、どこに管弦楽かパンチャンを使うかという問題を正しく解決しなければなりません。同じ歌であっても、独唱でうたわせるか、重唱か合唱でうたわせるか、同じ管弦楽曲であっても、どのような楽器編成で演奏させるかによって、場面の音楽的形象に違いが生じてきます。場面の音楽的形象では、こうした問題を劇的な契機とシチュエーション、人物の心理状態にふさわしく上手に処理してこそ、形象の多様性を保障することができます。
音楽とドラマを密着させるためにはまた、管弦楽によって連結音楽を上手に処理しなければなりません。音楽とドラマを密着させる問題は、場面の音楽処理を上手にすることだけでは全部解決されません。歌劇の一場面は前の場面の延長であり、つぎの場面に移る前提となります。場面と場面がつながって、ドラマがたえまなく上昇するなかで人物の性格が発展し、作品の主題思想が解明されます。
歌劇では、場面と場面のつながり、ドラマのたえ
まない上昇発展も、音楽的に巧みに処理すべきです。
(3) 音楽劇の組み方で基本をなすのは 感情づくりである
感情づくりとは、人物の感情世界を生活の論理にしたがってごく自然に描きだし、性格の本質を情緒的に明らかにする表現方法です。人間の感情は生活にもとづいており、生活の変化発展にともなってたえずかわります。人間は生活を開拓していく過程でさまざまな感情を体験するようになり、それが一つにからんで感情の世界をつくりだすようになります。
人間の感情世界、情緒世界を深く掘りさげるのは、
芸術の本性から提起される基本的要求です。
歌劇は生きた人間の具体的な思想・感情と生活がかもしだす情緒を音楽で表現します。音楽を感情の芸術というのも、このことと関係しています。歌劇では人物の性格と生活をその内面世界を描きだす方法で表現し、その人物の思想も豊かな情緒によって明らかにしてこそ、より感銘深く示すことができます。歌劇では人物の内面世界を豊かにあらわすことなしには、その人物を生きた人間として描くことができず、その思想を情緒的に明らかにせずには抽象性をまぬがれません。歌劇のすべての形象的要求は、感情づくりを上手にしてこそ満足な実現をみることができます。したがって、歌劇の創作では感情づくりを音楽劇の組み方の基本としてとらえ、すべての歌と管弦楽が感情の線にのってひびくようにすべきです。
歌と管弦楽が感情の線にのってひびくようにするということは、人物の動作の過程であらわれる感情の多様な変化を、生活の論理にしたがって一つの音楽的流れにつないでいくということを意味します。 歌劇の歌と管弦楽が感情の線にのってひびくようにするには、人物の行動の線の底にある感情の流れを巧みに操作しなければなりません。生活に紆余曲折があれば感情にも変化があるものであり、生活がたえず発展していけば感情も緊張と弛緩、蓄積と飛躍の過程をへてたえず変化するものです。これは、ドラマに事件の線があれば、それにともなう人物の感情の線があることを意味します。事件の線にともなう人物の多様な感情の流れを一つの音楽的流れに連結していくとき、歌劇の歌と管弦楽は感情の線にのったといえます。
歌劇で事件の線にともなう感情の線を正しくとらえるためには、人物の内面世界を深く掘りさげなければなりません。人物の内面世界を掘りさげずに、劇性だのなんだのと大げさな事件にのみこだわっては、感情の線を正しくとらえることができません。作曲家はたとえ小さな事件、平凡な事件であっても深く掘りさげ、それを体験する人物の内面世界を洞察することができなければなりません。
作曲家が事件の線にともなう感情の線をとらえたあとは、歌劇のすべての歌と管弦楽が感情の流れにのってひびくようにしなければなりません。歌劇の歌と管弦楽は、あくまでも事件につきあたったとき人物が体験させられるもっとも主導的で本質的な感情にのらなくてはなりません。そうしてこそ、歌劇は音楽によって感情づくりをしながら人物の内面世界の深層を描きだすことができ、主題と思想を生き生きと解き明かすことができます。
音楽が感情の線にのってひびくようにするうえで大切なのは、歌と管弦楽によって人物の動作をなさせる生活の前提と契機を作り、その感情を蓄積し発展させていくことです。音楽によって人物の感情を蓄積し発展させるためには、その運命の線が変化するモメントで、その心理世界とシチュエーションの情緒的ムードを各側面から深く描出しなければなりません。人物の運命の線が変化発展するモメントは、蓄積された感情が爆発する劇的な局面です。歌劇ではこうしたモメントを歌と管弦楽で深く掘りさげるべきであり、人物の心理世界とシチュエーションの情緒的ムードにふさわしく音楽のニュアンスを正しく定めなければなりません。人物の運命の線が変化するモメントで音楽をニュアンスのあるものにするからといって、性格発展の全過程にたいする統一的な構想もなく、その場ごとに違ったニュアンスのものにしてはなりません。人物の生活過程には曲折があり、体験があるものですが、それはあくまでもその状況で体験するものであるため、人物の運命の線が変化するモメントで音楽を多様に使いながらも、それが人物を性格化する統一的構成の一つになるようにすべきです。人物の運命の線が変化するモメントで使われる音楽の多様なニュアンスは、音楽の表現手段をどう使うかという問題と切り離して考えることはできません。作曲家は人物の運命の線が変化するモメントであるほど、場面の状況と人物の内面世界に深く踏み入って、それにふさわしい表現手段と方法を選び取らなければなりません。
(4) 音楽の線を明白にすべきである
歌劇は音楽を基本的表現手段とする劇芸術なのですから、音楽の線が明白でなければなりません。歌劇では音楽の線が明白であってこそ構成がはっきりとし、作品の思想的内容も情緒的に深く解明することができ、すべての歌と管弦楽の形象的調和を見事に実現することができます。
歌劇における音楽の線を明白にするためには、テーマ旋律が必要であり、それによって形象化全般を一貫させなければなりません。
歌劇はテーマ旋律が明白で、形象化全般がテーマ
旋律によって一貫されてこそ、音楽の線を明確にし、その形象的統一を実現することができ、観衆の関心と期待を終始一貫引きつけていくことができます。音楽の線を明白にし、形象化全般にテーマ旋律を一貫させるには、主題歌をはじめ、すばらしい歌をドラマ進展の要所要所でくりかえし使うべきです。 主題歌をはじめ、すばらしい歌を要所要所でくりかえし使うのは、音楽の線を明白にし、形象化全般にテーマ旋律を一貫させる音楽劇の基本的組み方の一つです。主題歌をはじめ、すばらしい歌を要所要所でくりかえし使うのは、歌の印象を深め、主題人物を性格化し、その性格発展の過程を示し、音楽のスタイルを統一させるうえで重要な意味をもちます。従来の歌劇では歌を有節化できなかったため、すばらしい歌をくりかえすことについては考えることすらできませんでした。新しい歌劇では歌を有節化し、人民の愛唱にたえるすばらしい歌を必要な個所でくりかえしうたわせることによって、音楽劇作法の新たな境地を開き、歌劇の人民性をさらに高めました。 主題歌と主調歌をくりかえし使うときには、かならずドラマ構成上の要求を十分に検討し、歌劇の基本思想が集中的にあらわれる場面で使うべきです。革命歌劇『血の海』で主題歌『血の海の歌』は三回くりかえされますが、一回目は序曲として奏でられ、種子を暗示して観衆をドラマの世界にいざない、二回目は日本帝国主義者の大虐殺場面と潤燮の火刑の場面で管弦楽とパンチャンでひびきながら、かれらの野獣のごとき蛮行を告発し、三回目は乙男の死の場面で甲順の独唱と大パンチャンでうたわれ、日本帝国主義者に抵抗する人民の不屈の闘争精神を表現します。従来の歌劇の音楽劇作法と異なるこうした表現方法は、生活の論理と形象の論理にまったく合致するものです。乙男の死は、その父である潤燮の死と切り離しては考えられません。父を無惨に殺したのも日本帝国主義者であり、乙男を殺したのもほかならぬかれらです。乙男とその父は犠牲になりましたが、それは祖国と民族のためであり、革命のためでした。乙男の死の場面は、国土全体が血の海にひたされた当時の朝鮮の現実をありのままに見せる縮図であり、搾取と抑圧のあるところにはかならず人民の抵抗と闘争があるものである、という革命の真理を説き明かす深刻な劇的場面です。もし、あの場面で『血の海の歌』ではなく、乙男の死にからめた他の歌がうたわれるとすれば、一家庭にふりかかったむごい不幸と苦しみを一つの貫通する音楽的流れのなかで示すことができないばかりか、乙男の死が個人の死ではなく、民族全体に強いられた不幸と苦しみであるという深奥な思想を説き明かすこともできないでしょう。大虐殺の場面と潤燮の火刑の場面であれほど悲痛に流れた『血の海の歌』が、乙男の死の場面で甲順の独唱と大パンチャンでふたたびくりかえされるため、観衆は乙男の死だけでなく、潤燮の犠牲まで考えながら、父を殺し、息子を殺し、全村、全土を血の海にひたした日本帝国主義者にたいする憎悪を胸にたぎらせるのです。
また革命歌劇『血の海』で、敵に殺される直前、魚を捕って母の薬を買ってきた乙男を抱きしめて甲順がうたう歌『母の薬を買ってきた』は、人びとにじつに多くのことを考えさせます。あの曲はオモニが乳飲み子の乙男を背負って甲順と一緒に子守歌のように静かにうたって聞かせた『乙男よ 泣くな』の曲であり、夫を亡くしあてどない流浪の道にさ迷っていた場面で、幼い乙男の前途を察して管弦楽で奏でられたいわくの多い曲です。それほど涙ぐましいいきさつのある子守歌を、乙男の死の直前に甲順にくりかえしうたわせることによって、その死をさらに悲愴なものにしています。このように主題歌と主調歌は、劇的に重要なところで主人公の生活の裏にある深いいわれをもってくりかえされてこそ、形象の哲学的深みを増し、歌劇の思想的内容を深めることができます。
主題歌と主調歌は、人物の性格発展を示す重要な契機にくりかえし使うべきです。主題歌と主調歌はどの歌よりも意味深く、形象の幅が広く、豊かな情緒をたたえているため、人物の性格発展の重要な契機にくりかえし使うなら、その性格成長の過程、革命的世界観の形成過程をいっそう浮き立たせて描きだすことができます。主題歌と主調歌は、人物の内面世界の描出とドラマの進展に必要であれば、同じ場面のなかでもさまざまな形式でくりかえし使うことができます。革命歌劇『密林よ 語れ』の離別の場面では、歌『革命の道では生きるも死ぬるも栄光』を同じ場面のなかで歌詞をかえ、演奏形式をかえてくりかえし使うことによって人物の内面世界の深層を描きだし、ドラマを力強く進行させています。 歌劇では歌のくりかえしによって形象がよくなることもあれば悪くなることもあり、歌の全般的な流れが味のあるものになることもあれば締まりのないものになることもあるため、歌のくりかえしを的確に処理する必要があります。歌のくりかえしを的確に処理するのも、思索と探究と技巧を要する一つの創造です。歌をくりかえし使う必要があるときは、まずドラマ進展の論理をたしかめてから場面を確定し、くりかえす歌と場面の状況を完全に密着させるべきです。くりかえす歌が状況に密着しないときには取ってつけたようになって、かえって新しい歌を取り入れるよりも劣るような結果になります。歌劇でくりかえし使う歌は、新味が出るように発展的にくりかえし使うべきです。ドラマの進展にともなう事件とシチュエーションはつねにくりかえしがないので、歌をくりかえすときには生活の論理に即して発展的に、新味が出るように多様な形式と方法で使うべきです。主題歌をくりかえすときにはテーマ旋律をかえて使うこともできるし、テーマ旋律から派生させた歌を使うこともできます。メロディーをかえて使う場合は持ち味がそこなわれないようにすべきです。主題歌とすばらしい歌は多様にくりかえし使いながらも、本来の持ち味をはっきりと生かし、浮き立たせる方向で使うべきです。
歌をくりかえすときには、舞台歌唱とともに、パンチャンと管弦楽を広く取り入れるのがよいでしょう。舞台歌唱とともにパンチャンを多様に使えばバラエティーに富んだものにすることができ、管弦楽を使えば歌ではあらわせない多様なニュアンスの情緒をかもしだすことができます。歌をどういうやり方でくりかえし使うにしても、それは人物の性格にふさわしく、場面の状況にあったものであってこそ、リアルな音楽的形象として生かされるようになります。
歌劇で音楽の線を明白にするためには、歌と管弦楽を然るべきところに入れてぴったりと組み合わせなければなりません。
歌と管弦楽を人物の性格と生活の論理、場面の内容と状況の要求に即応して然るべきところに入れてぴったりと組み合わせるのは、『血の海』式歌劇の音楽劇の組み方の重要な原則の一つです。歌と管弦楽を然るべきところに入れてよく組み合わせてこそ、音楽そのものを生かし、音楽の線を明白にすることができ、歌と管弦楽で感情の一貫した流れをつくりだし、ドラマの力強い進行を促すことができます。またそうしてこそ、人物の性格成長の過程を十分に示すことができ、歌劇の主題と思想を音楽的に解き明かすことができます。
創作家が音楽劇の組み方において、たまたまこの原則から逸脱して主観を先立たせたり、いわゆる音楽そのものの論理をより強調しようとするのは、いまだに従来の音楽劇作法から完全に脱皮していない証拠です。従来の歌劇では、主人公にアリアをうたわせるにはまずいくつかのレチタティーボをやらせ、それが終わればかならずアリオーソをあてなければならないという一つの枠をつくっておき、それをたがえては音楽劇が成り立たないかのように考えられていました。そういうことでは、芸術の内容と形式を分離させる結果をまねくようになります。歌劇において音楽の論理は、あくまでも人物の性格と生活の論理にもとづいていなければなりません。人物の性格と生活をぬきにした純粋な音楽の論理などはありえません。
歌劇の歌と管弦楽は、つねに人物の性格と生活の論理にかなうように然るべきところにはいり、ぴったりと組み合わされなければなりません。歌劇のストーリーには、他の劇作品のストーリーでのように起承転結があり、緊張と弛緩、蓄積と飛躍の過程があります。
こうした表現法則が、歌劇では音楽によって実現されなければならないので、音楽によって劇的シチュエーションを緊張させたり緩めたりし、感情を蓄積し高揚させたりしなければなりません。そのとき、舞台歌唱とパンチャン、管弦楽を然るべきところに入れ、互いにクロスさせ、連結させながら音楽の流れをつくりだすことが大切です。そうしてこそ、歌劇の歌と管弦楽がドラマ進展の論理に適合しながらドラマの進行を力強く促すことができます。
歌劇で音楽の線を明白にするためには、歌と管弦楽を熟考したうえで使わなければなりません。歌と管弦楽の使い方を誤ると、それが似かよったものになって、人物の性格をはっきりと示しにくく、観衆に音楽にたいする深い印象を与えることができず、音楽の流れにうねりがなくなり、ドラマの流れにも緊張感がなくなります。
歌劇は歌を多くするからといって出来栄えがよくなるのではありません。歌劇の歌を有節化したからといって、ところかまわず新しい歌を入れようとしてはいけません。有節歌謡化された歌劇であるほど、歌を惜しむべきです。これまでの経験は、歌を有節化しても、一編の歌劇に数十曲の歌さえあれば、人間と生活をりっぱに描きだせることを示しています。歌劇では歌をむやみに使うことなく、すべて然るべきところに入れ、形象化全般をテーマ旋律で一貫させてこそ、音楽の線を明白にすることができます。
歌劇では序曲とクライマックス音楽、終曲がすば
らしくなければなりません。
歌劇の初印象は、序曲をどのように使うかによって異なり、歌劇からうける感動の大きさは終曲をどう使うかによって違ってきます。いかにりっぱな内容をもりこんだ歌劇であっても、序曲でうける初印象がよくなければ、人びとをドラマの世界に引きこむことができず、終曲を上手に処理できなければ、歌劇でうけたすばらしい感動までさましてしまいます。
序曲は主題曲か主調歌にもとづいて、歌劇の主題と事件を提示するか暗示しなければなりません。序曲に主題曲か主調歌を使うのは、観衆を幕開けの前からドラマの世界にいざなううえで大きな意味をもちます。序曲で主題と事件を提示するか暗示して主人公の性格を特徴づければ、観衆は歌劇でいおうとすることが何であり、主人公がだれであるかを知り、以後その運命がどうなるかに期待をもって、ドラマの世界に引きこまれていきます。有節化された主題歌や主調歌にもとづく序曲は、音楽構造が簡潔で平易でありながらも、意味が明白に伝達されるので、従来の歌劇序曲とは違って、短時間のうちに観衆をドラマの世界に引き入れることができます。
序曲は歌劇の内容とスタイルによって、多様で特色がなければなりません。序曲は歌劇によって管弦楽だけで演奏することもできれば、さまざまな形式の歌と管弦楽を組み合わせて奏でることもできます。『血の海』『ある自衛団員の運命』『金剛山の歌』のような革命歌劇は、序曲を管弦楽だけで演奏しています。新しい歌劇では、序曲が管弦楽だけで演奏されるときにも、有節化された主題歌の旋律を基本にして演奏されるため、その形式が簡潔で鮮明であるばかりか、観衆に親しみを与えます。
歌劇の序曲は、さまざまな形式の歌と管弦楽を結合して演奏すべきでもあります。序曲を演奏するのは、幕が上がる前に主題を提示し、これからくりひろげられる事件を暗示するのが目的なのですから、それに適した表現方法を取り入れるべきです。
『血の海』式歌劇では、管弦楽とパンチャンをはじめさまざまな声楽形式と組み合わせて序曲を奏でる新しい形式を創造しました。
革命歌劇『花を売る乙女』では、序奏形式の管弦楽とともに主人公のうたう歌とパンチャンが結合され、革命歌劇『党の真の娘』では序奏形式の管弦楽とパンチャンが結合されています。管弦楽とパンチャンの両部分からなっている『党の真の娘』の序曲は、最初から主題を明白に示しており、主人公の英雄的行動を予告しながら観衆をドラマの世界に引きこんでいきます。序曲を管弦楽だけで演奏するか、管弦楽と声楽を組み合わせるかということは、歌劇の内容とスタイルによって定めるべきです。叙情心理的スタイルの歌劇で、序曲がかまびすしくごたごたとひびいたり、英雄叙事詩的スタイルの歌劇で序曲が静かにひびくだけなら、それは歌劇の内容とスタイルに合わなくなるでしょう。
歌劇ではクライマックス音楽を上手に使うべきです。以前、歌劇のクライマックス音楽をどのような基準と原則で使うかという問題は、さまざまに解釈されてきました。わが国ではじめて『血の海』式歌劇をつくるときにしても、クライマックス音楽は劇性が強くなければならないといって、曲をアリアかレチタティーボ式に使うべきだという人がいたかと思うと、クライマックス音楽はつねに状況にかなった新しい歌を使うべきだといって、主題歌や主調歌を利用しようとしない人もいたものです。
歌劇音楽を有節歌謡化した状況のもとでは、クライマックス音楽も有節歌謡の特徴を生かして利用すべきです。革命歌劇『花を売る乙女』のなかの歌『真心石にも花咲かすというけれど』のメロディーと、革命歌劇『血の海』のなかの歌『血の海の歌』のメロディーは、クライマックス場面の劇性と、主題歌と主調歌の劇性とが溶け合って、人びとに強い衝撃を与えています。
歌劇のクライマックス場面に新しい歌を使うこともできますが、すでにうたわれた主題歌か主調歌をシチュエーションにふさわしくくりかえし使うのがよいでしょう。クライマックスの場面では主題歌と主調歌をくりかえし使いながらも、クライマックスの劇的要求にふさわしくさまざまな音楽の表現手段を組み合わせて劇的な効果を十分に生かすべきです。クライマックスの場面では、シチュエーションの要求と人物の感情の流れにふさわしく主題歌か主調歌によって人物の心のふれあいをりっぱに実現すべきであり、人物が動作を自由にできるように、必要な契機にパンチャンを使うべきです。
パンチャンは人物の歌より動作を見せるほうがより適切といえる契機に使うべきです。クライマックス音楽では、さまざまな音楽形式を利用しながらも、それを管弦楽によってよく結合しなければなりません。管弦楽によってさまざまな音楽形式を結合し、舞台をそよがせてこそ、クライマックスが生かされるのです。
歌劇では終曲を巧みに処理すべきです。終曲は歌劇の主題と思想を最終的に解明し、事件の決着をつけて、人物の以後の運命を描く最後の音楽です。歌劇を上手にしめくくるかどうかは、終曲をどう処理するかにかかっています。
終曲の形式と表現方法は歌劇によって違ったものにしなければなりませんが、終曲はつねに歌劇の主題と思想を強調し、観衆に情緒的余韻を強く残すものとなるべきです。終曲はどの場面の音楽よりも幅と深みがあり、迫力がなくてはいけません。歌劇の終曲を音楽舞踊叙事詩や音楽舞踊総合公演の終曲のようにしてはいけません。
音楽舞踊叙事詩の最後はたいていはなやかな舞踊と結合した合唱で終わりますが、歌劇の終曲はそうすることができません。歌劇ではクライマックスから解決へと移る劇的な流れも異なり、主人公の運命の決まり方も違うだけに、終曲も当然、ドラマの内容にふさわしく処理すべきです。
歌劇の終曲では大合唱、大パンチャンを効果的に利用すべきです。大合唱は終曲を生かすうえで大きな役割をします。終曲の処理では劇的な事件がしめくくられる契機と人物の運命が解決される過程、終幕の情緒的ニュアンスを十分に検討し、それにふさわしく声楽形式と管弦楽の順序を適切に定め、それがよく組み合わされるようにすべきです。そうしてこそ、すべての音楽手段が終曲の形象の完結において、それぞれの特性をあらわすことができます。 歌劇の序曲と終曲、序幕と終幕は互いに形象的に連結されなければなりません。序曲で歌劇の主題を示し、終曲でそれにたいする明確な決着をつけるべきです。革命歌劇『花を売る乙女』の序曲と終曲は、歌劇における序曲と終曲の処理の手本となります。『花を売る乙女』の序曲では、主題歌『いつも春には』のメロディーの序奏音楽が管弦楽で流れるなかで、亡国民族の悲しみと幸せな未来にたいする朝鮮人民の志向を象徴的に暗示したのち、主人公の歌と大パンチャンによって、いつも春には野や山に花が咲くが、なぜコップニは花を売らねばならないのか、その涙をさそういきさつを聞いてみようと訴えます。終曲では主題歌『いつも春には』の曲をくりかえし使っていますが、その歌はありがたき太陽の日射しのもとに自由を取りもどし、革命の花の種をまいていく主人公の誇り高く幸せな生活にたいする歓喜をこめてひびきます。革命歌劇『花を売る乙女』の主題歌『いつも春には』は序曲と終曲で二回しかうたわれませんが、悲哀と孝行の花かごが闘争と革命の花かごになるという深奥な種子を提示し解明するのに大きく寄与しています。このように、歌劇では序曲と終曲、クライマックス音楽が生活と形象の論理にしたがって一貫した流れにのって奏せられてはじめて、音楽の線を生かし、人物の性格を描き、ドラマを発展させ、主題と思想を解明する働きを円滑にすることができます。
(5) 音楽のスタイルを統一すべきである
歌劇で音楽のスタイルを統一するのは、形象的統一をなすうえで非常に大切です。作品はスタイルが明確であってこそ生活の持ち味を情緒的に十分に生かすことができます。歌劇音楽のスタイルは台本によって決まります。しかし、台本で音楽のスタイルが決まったとしても、それぞれの音楽に形象の独特なニュアンスが生かされなければ、その歌劇は特色のない作品になってしまいます。特色のある歌劇をつくるためには、音楽のニュアンスを十分に生かさなくてはなりません。歌劇音楽のスタイルを統一するということは、歌劇のすべての音楽を一つのニュアンスで統一することを意味するのではありません。正劇だからといって、四角ばった重々しい歌だけでドラマを運んだり、喜劇だからといって、軽快でユーモラスな歌だけでドラマを運ぶことはできず、悲劇だからといって、哀調切々たる歌だけでドラマを運ぶこともできません。人間の生活には喜びもあれば悲しみもあり、笑いもあれば涙もあるものです。こうした人間生活の多様なありさまを形象として反映したのが作品の世界です。したがって、スタイルの明確な歌劇作品にも、さまざまなニュアンスの音楽があるのです。生活の持ち味どおり、歌と管弦楽がみな特色のあるものとなってこそ、形象の独特な情緒的ニュアンスが生かされるのです。しかし諸々の歌のメロディーに特色があり、情緒的ニュアンスが独特であるとしても、作品の総体的なスタイルにふさわしくないときには、歌劇の歌としては精彩を欠きます。ドラマ進展の契機ごとにひびく歌と管弦楽の情緒的ニュアンスを一つのスタイルに統一する複雑な創造作業は、音楽劇の組み方が巧みであってこそ、成功裏に解決されます。
歌劇音楽のスタイルを生かすには、主題歌でスタイルの特性を生かし、他の歌と管弦楽が主題歌とテーマ旋律との調和をなすようにすべきです。個々の形象の独特なニュアンスも、調和のなかでのみ自己の固有なニュアンスをあらわすことができます。歌劇のすべての歌と管弦楽は、それぞれ独特なニュアンスをもちながらも、主題歌とテーマ旋律との調和をなしてこそ、スタイルの統一を保つことができます。
歌劇音楽のスタイルの一貫性と統一性を保つためには、テーマ旋律を持続させながら、ドラマの要所要所でくりかえすだけでなく、他の旋律を派生させなければなりません。テーマ旋律から他の旋律を派生させるのは、有節歌謡化された歌劇において音楽のコントラストと統一をつくりだす重要な表現方法です。歌劇では、テーマ旋
律を基本にしてさまざまな旋律を派生させてこそ、音楽的形象全般がコントラストと調和をなして一つのスタイルに統一されるのです。
作曲家は名曲をつくれなくてはなりませんが、テーマ旋律を持続させながら他の旋律を派生させ、歌劇音楽の全般的スタイルを統一させることもできなくてはなりません。いろいろな歌と管弦楽がそれぞれ独特な情緒的ニュアンスをもちながら一つのスタイルに調和して統一された歌劇であってこそ、人びとの胸を打つ作品になることができるのです。