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大城山城は朝鮮の首都平壌市大城区域の大城山にある。
この城は3-5世紀に築造した山城として、高句麗のもっとも大きな山城の中の一つである。この城は427年に高句麗が首都を平壌安鶴宮一帯に移す時、首都防衛城として利用された。
大城山城は周りが7076m、城壁の長さが9284mに達する。
大城山城は高さ274mの乙支峰を中心に六つの峰々を結び、その中の二つの広くて深い谷間をひかえている。
山城の中には食糧倉庫の址と兵器庫の址、兵舎の址、将台の址、門の址など、多くの家の址と池の址が発見された。
大城山城は自然地理的条件をよく利用して築造した城である。
城の北側には険しい山脈が連なっており、東側と西側は急傾斜をなしており、南川には大同江側に向かった谷間に二重城を強固に築いた。それで大城山城は敵の攻撃には不利であり、防御には有利な砦であった。
城壁は4角錘型に加工した石で峰ではほとんど外面築造方法で築造し、谷間部分では両面築造方法で築造した。重要なところには二重三重に城壁を築造した。
大城山城は水源が豊富で立派な防御施設を備えた強固な城であったので、外来侵略者に反対する戦いで頼もしい砦となった。
大城山城は平壌の長い歴史と優秀な文化を示す貴重な文化遺産である。