崧陽書院は、開城市善竹洞にある私立教育機関である。
この建物は、1573年に高麗王朝の忠臣である鄭夢周が暮らしていた邸宅地に建てたものである。鄭夢周の贈り名を付けて文忠堂と呼び、1575年から崧陽書院と呼ぶようになった。
正方形の高い垣で囲われた書院の外の三門をくぐって庭に入ると左右に東斎と西斎が向き合っている。少し前の方に三つの階段が設置されている高い築台の上に講堂がある。講堂の後部に三つの石段を上がって書院の裏の前後をさえぎる垣を過ぎれば書院の本館といえる祠堂がある。
当時、学生たちの寮として利用された東斎と西斎はときょうのない船模様の屋根からなっており、前面5間、側面2間として規模の大きい建物である。
崧陽書院は、朝鮮封建王朝時期、地方の教育状態と書院の建築様式を示し、鄭夢周に関わる伝説が秘められており、広く知られた遺跡の一つである。