「わが国の社会主義法は、勤労人民大衆の利益を擁護するため人民自身によってつくられた国家管理の基本的武器です」
法治は国家と社会を管理する方法と原則の一つとして、法でもって国を治めることを意味する。法治国家は法ですべてを治め、法が社会のすべての構成員に普遍的に適用される国家を意味する。
朝鮮民主主義人民共和国は人民のためのチュチェの社会主義法治国家である。
社会主義法は勤労人民大衆のための法である。社会主義下では法をつくるのも勤労人民大衆のためにつくり、法を執行するのも勤労人民大衆の自主的で創造的な生活を保障するためである。
朝鮮では社会主義憲法を始めとしたすべての法が、朝鮮人民の要求と意思を反映して制定され、朝鮮人民が実際に享受する自主的権利を法的に表現している。朝鮮で法機関による法の執行は、徹頭徹尾人民の自主的権利と利益を守ることに志向され服従されている。
人民のための社会主義法治国家は資本主義法治国家と根本的に区別される。
資本家階級とその御用学者らは資本主義法がすべての階級、階層の意思と要求をともに反映し保障する超階級的な法でもあるかのように喧伝している。そして法が全国民の意思と要求を反映しているので法治をおこなえば、全国民の意思と要求が十分に実現されると主張する。
このようにブルジョア法治主義の出発的前提は、法が国民全体の意思を反映しているということである。これは資本主義法の階級的本質にたいする歪曲であり、捏造である。
資本主義法は資本家階級のための法である。敵対する利害関係をもつ階級によって分裂された資本主義社会ですべての階級、階層の意思を反映した法などあり得ない。
資本主義法は資本家階級、特に大独占資本家の独善的な要求と利益を擁護し実現するために制定され、彼らに特権的な自由と権利を保障するために執行される。ゆえに、資本主義法治国家は大独占資本家のための法治国家である以外に他ならない。
真の法治、人民のための法治は、ひとえに人民が国家の主人となり、すべてが人民に奉仕するチュチェの社会主義朝鮮でのみ立派に実現される。