台所の下働きから最高人民会議副議長に

1970年代の初め、日本でおこなわれる列国議会同盟会議に派遣する最高人民会議代表団の選抜問題が提起されたときのことである。

代表団の名簿を調べた金日成主席は、最高人民会議第1期の時から働いてきた古くからの女性代議員キム・ドクランさんを代表団に網羅させるべきではないかと助言した。

主席の助言にしたがって最高人民会議代表団の一員に選抜された彼女は、日本に滞在する間、主席をいただいて共和国の高い対外的権威があることを切に感じ、主席の偉大さを宣伝するために積極的に活動した。

列国議会同盟会議の参加者の大多数は、国会議長らなど資本主義諸国の政治家たちであった。彼らは朝鮮民主主義人民共和国代表団の中に対外的に別に知られていない女性がおり、最高人民会議副議長であることを知っては格別な関心をもって彼女に近づいた。どの大学を卒業したのか、どんな経緯で副議長になったのかというのが彼らがいちばん知りたがる問題点であった。

時を構わず質問が提起され、マイクが近づけられると彼女は民族的自負と誇りに満ちて真実を打ち明けた。

自分は平凡な勤労女性の出身である、解放前には台所の下働きであった自分が主席の懐に抱かれてから最高人民会議代議員、最高人民会議副議長にまで成長するようになった、主席は常に人民の忠僕として活動するよう細心な指導をしてきた、と実例を挙げて話した。

そのつど外国の代表たちは、世にまたとない彼女の成長過程を通じて金日成主席金正日総書記の政治経綸と偉大さ、共和国の真の姿をよく知るようになったとし、深い感動を表した。