数十年前の6月のある日、偉大な
稲作の展望を聞く主席に老人は、以前なら、このような塩分の多い土地に水田を作ることなど思いもよらなかっただろうが、今は主席のおかげで大同江の水も引き、稲作を着実に営めていると活気づいて申し上げた。
老人の話を注意深く聞いていた主席は果てしなく広げられた干潟地を眺めながら、ここを干拓すれば全人民に白米の飯を食べさせても余るだろうとし、もう少し前の方に進んで見ようと話した。
幹部らが前の方は泥土なのでやめてほしいと切に申し上げると主席は、われわれがここに初めての道を開こうと話しながら泥の中に足を運んだのである。
やがて泥の真ん中に入った主席は、四方を再び見回しながら、これから広い海をせき止めて干潟地を造成し、浜辺の丘には文化住宅をきれいに建設しなければならない、海面干拓を大々的に行い、ここに機械で農業を営む農場をりっぱに建設してやろう、と述べた。
こうして不毛の地であった干潟地が広々とした沃土に変わり、主席が初めての道を開いたそこに農場が生まれた。