委員長は、日が昇る龍南山で朝鮮革命の黎明が訪れるという意味を込めて通りの名前を「黎明通り」と命名し、チュチェ106(2017)年1月と3月の2回にわたって建設現場を現地指導しながら黎明通りを立派に建設する上で提起される課題を示した。
委員長は、風光明媚な綾羅島地区を人民の遊園地として整備するためにチュチェ101(2012)年4月をはじめ、1年にも数回にわたって綾羅人民遊園地の建設現場を訪ねた。
直接、ゴンドラに乗って冬風の冷たい馬息嶺スキー場の頂点まで登り、その安全性を確かめ、一つの遊泳場の完成のためにおおよそ113件の形成図案を指導した委員長の燃えるような献身は、実に偉大な奉仕者の滅私奉仕の精神世界がどんなものであるのかを雄弁に実証してくれた。
その崇高な愛に支えられて、銀河科学者通り、衛星科学者住宅地区、未来科学者通り、黎明通りのような近代的な通りが立派に建設されることができ、馬息嶺スキー場と紋繍遊泳場、美林乗馬クラブと中央動物園、自然博物館、陽德温泉文化休養地をはじめとした文化情緒生活基地が人民の別天地として整えられるようになった。