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人間の利益にもとづいて世界に対応すべきである 

    金正日総書記は次のように述べています。

    「人間を中心に世界に対応するというのは、世界の主人である人間の利益にもとづいて世界に対応することを意味します。」

    人間の利益にもとづいて世界に対応するというのは、人間の利益の実現に奉仕する見地から世界を見て対応することを意味します。すなわち事物現象に接したり、何か仕事をしようとする時、それが人間に有益なのか有害なのか、有害なものはいかにして有益なものにし、また有益なものはどうすればもっと有益なものにするだろうかという見地で対応すべきであるということです。

    人間のやることがはたして人間に有害なことになりうるのか、また、人間が有害なものは避け、有益なものを追求するのは当たり前ではないかと考える人々が一部いるかも知りません。しかし、問題をそのようにしか見れないでしょうか。

    一つ例をあげましょう。

    いつか金正日総書記はハムフン地区に建設する工場建設と関連した書類をもらいました。

    金正日総書記は長い時間にわたって工場の生産能力や設備にいたるまで具体的に調べ、計画通り工場を建設すれば社会主義経済建設で差し迫った問題がまた-つ解決されると満足を示しました。そして建設を受持った幹部に、工場の敷地はどこに定めたかと聞きました。彼からソンチョン川上流にいい所があるとの答えを聞いた金正日総書記は、意外であるかのように彼をながめ、ソンチョン川上流に工場をたてるとその水を利用するハムフン市民が生活に不便を感じるではないかと反問しました。その幹部は汚水浄化施設さえしっかり整えて置けば川の汚染は優に防止できると答えました。しかし金正日総書記は、もっと考えてみましょうとその建設案を保留しました。

     金正日総書記はその後、現地の幹部たちの意見を聞いたり専門家たちを現地に寄こしたりしてもう一度具体的に調査するようにし、工場を建設する初期にはたいしたことがないが、工場が拡張され年月が過ぎるとちょっと影響があるようだという意見が提起されると敷地を他の場所に移し、汚水浄化施設もしっかり整えるようにしました。それゆえソンチョン川には、昔も今も清らかな水が流れているのです。実にこれは、人間の利益を優先し、それに基づいてすべてに対応する主体的な観点と立場の立派な具現でありました。

    これは何を物語っているのでしょうか。それは、人間のやることだからといってみな人間に有益なものにはならないし、したがって自然の束縛と社会的従属から脱して自主的、創造的に生き発展しようとする社会的人間の本性的要求と利益の実現を優先し、そこから出発してすべてに対応すべきであるということです。

    では人間の利益から出発して世界に対応するということは何を意味するでしょうか

    それは第-に、すべての活動において人間の自主的な権利と利益の擁護を最高の原則として提起することであります。これはすなわち、認識と実践のすべての活動において人間の自主的権利と利益を擁護することを根本目的にすることであります。

    どういう目的から出発するかによって、認識と改造の対象と課題、手段と方法が規定され、その結果が左右されます。それゆえ、目的を正しく立てるのは認識と実践活動を成功裏におこなううえで重要な間題となります。

    自然と社会を認識し改造する活動は、それぞれ異なる事物現象を相手として多様に行われるため、その具体的な目的も異ならざるをえません。しかし、この具体的な目的は、窮極的には人間の自主的な権利と利益を擁護するものにならなければなりません。つまり、人間の自主的権利と利益を擁護する根本目的から出発して、認識と改造のあらゆる具体的な目的が立てられるべきであります。

    目的は、もともと人間の要求と利益、その充足条件、希望する結果に到達しようとする人間の決心を反映します。それで人間の自主的権利と利益を擁護するのを最高原則にすることは、人間のすべての認識と実践活動の目的そのものから流れてくる基本要求であります。人間の自主的権利と利益を擁護することを目的としないのは、認識と改造活動の本性に反するものであり、何の価値もないものであります。

    -つ例をあげます。

    人々が核物理学を研究しはじめたのは久しい前のことですが、原子の運動法則を解明しそれを利用するのが人間に有益であるのは言うまでもありません。

    しかし不幸にも原子の運動法則を解明しようとする人間の苦心惨澹な研究は支配と従属、戦争と侵略を企む帝国主義者たちの非人間的な策動により、20億ドルという巨額の資金を消費して核爆弾の製造に悪用され、その最初の洗礼を日本人民が受けました。日本の広島と長崎に投下された原子爆弾被害報告書は、人類に奉仕すべき科学が誤った目的に利用されるとき、いかに大きな災難と不幸をもたらすかをよく物語っています。

    このような事実は、人間の活動が人間に奉仕するものになるためには、つねに人間の自主的権利と利益の擁護の実現に目的をおき、これに反するあらゆる観点と立場に反対してたたかわなければならないことを示しています。

    人間の利益にもとづいて世界に対応するというのは、第二に、認識と実践活動におけるすべての問題を、人間の自主的志向と要求を実現するのに奉仕させることであります。これはすべての認識と実践活動の過程がみな、人間の自主的な生活に貢献する方向で行われるようにすることを意味します。認識と実践活動で提起されるすべての問題を、人間の自主的志向と要求を実現することに奉仕させるためにはまず、認識と実践活動の対象を人間の自主的志向と要求の実現に服従させて規定しなければなりません。

    認識と改造の対象を正しく規定するのは、人間活動の重要な保証の一つであります。人間は世界のあらゆる事物現象を全部認識し、改造しうる無尽蔵の創造的能力をもっています。

    しかし人間は世界を-挙に認識し改造することはできません。各世代の人々は社会歴史的に規定された生活的要求と創造的能力をもって、世界を認識し改造する活動を行います。人々は、歴史的に規定された生活的要求を提起し、到達した創造的能力でそれを解決する過程に、自己の創造的能力をより発展させ、さらに高い新しい要求を提起し解決していきます。万が一、生活が切実に提起する自主的要求と利益の実現に不必要なものを認識と改造の対象にすれば、それを正しく認識し改造することができず、たとえ認識し改造したとしてもそれは「ズボンを脱いで長刀を付けた」ことにしかなりません。

    それゆえ、人間の利益を擁護することを最高の原則とし、生活が提起する切実な要求の実現に必要な対象を、認識と改造の対象に選択しなければなりません。

    認識と実践活動において提起されるすべての間題を、人間の自主的要求を実現するのに服従させるためにはまた、その手段と方法を人間の自主的志向と要求を実現するに服従させて選択しなければなりません。

    認識と実践活動を成功裏におこなうためには手段と方法を正しく選択しなければなりません。手段は目的を実現するために人間が利用する事物現象であり、方法は目的を実現するための活動方式であります。目的は手段と方法を規定し、手段と方法は目的の実現を保障します。正しく立てられた目的はそれにふさわしい手段と方法によってのみ実現されることができます。

    認識活動と実践活動の目的が、あくまでも人間の利益を擁護し実現するところにあるため、手段と方法も当然、人間の利益を擁護し実現するものになるべきです。

    認識と実践活動の目的がいくら正当であってもその手段と方法が人間の利益を侵害するものであれば、人間の自主性、創造性、意識性を発揮させることも、認識と実践活動において成果を期待することもできません。

    かつて社会主義を建設していた少なからずの国々で人々は、自分の腹を触ってみてから社会主義のよさを感じる、だから生産力を発展させるべきであるが、そのためにはその方法が資本主義的なものであろうが社会主義的なものであろうがかまわずに受け入れるべきであると主張しながら資本主義的経営方式と手法をやたらに導入しました。その結果、社会が変質し、しまいには社会主義が崩壊する悲劇的な事態まで招いたのであります。現実は何をみせているでしょうか。

    それはいかなる場合にも、人間の利益を擁護し実現する原則に立って認識と実践活動の手段と方法を選択し、そうしてこそ、認識と実践活動そのものが人間の自主性、創造性、意識性を高く発揮させ、さらに発展させる過程になり、したがって人間の自主的要求と利益を擁護し実現するための認識と実践活動の目的も成功裏に実現されることを示しています。

    すべての活動において人間の自主的要求と利益を擁護し実現するためにはまた、認識と実践活動の結果を、人間の自主的要求と利益を基準にして評価しなければなりません。

    認識と実践活動の結果を正しく評価するのは、人間の活動をさらに深化発展させるための必須の条件となります。認識と実践活動の結果を評価する基準は、人間の自主的要求と利益を擁護し実現するのにどれほど貢献するかにあります。

    周知のように人間は世界でもっとも優れて有力な存在であり、人間によってこの世の貴重なすべてのものが創造されます。したがって世界でもっとも貴重なのは人間であり、また世界には人間の利益よりもっと貴重なものはありません。

    世界のすべての事物現象は人間に役立つ時にのみ価値をもつようになります。人間の自主的要求と利益の実現にどれほど責献するかが、価値評価の基準になる理由がここにあります。

    今日、資本主義諸国では人間より金や黄金をもっと大事にし、あらゆる事物の価値を、金銭を基準にして計る黄金万能の価値観が支配しています。結果、資本主義社会では品物ばかりでなく、人間の人格的価値さえも交換価値に転落される非正常的な事が蔓延しています。

    それゆえ資本の発生初期、すでにシェクスピアは

    「黄金!燦然と輝く黄金よ!

    これさえあれば

    黒いものも白く

    醜いものも美しく

    不正なものも正しく

    卑しいものも貴く

    年よりも若く

    卑怯者も勇士に

    変える!

    … … …

    泥棒も元老の席に座らせ

    称号と遥拝と栄光を与える」

    と指摘しながら黄金万能主義的価値観とそれによる資本主義社会の腐敗性を批判しました。

    お金の儲けになるならば、後はどうなろうと平気で公害産業を展開し、兵器を売ったりして莫大な利益を得る、反動的搾取階級、支配階級の非人間的な黄金万能主義的観点と立場を徹底的に反対、排撃し、お金より人間を優先し、人間の自主的要求と利益を基準にしてすべてを評価することを原則にしなければなりません。

    人間の利益から出発して世界に対応する主体的観点と立場は、人間の自主性を実現することに根本目的をおいてすべてを人間に奉仕させ、世界にたいする認識と改造活動がもっとも正しい方向へと進むようにします。ここに、人間の利益に基づく主体的観点と立場の正当性と不敗の威力があります。