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人間はあらゆるものの主人でありすべてを決定する

    チュチェ思想は哲学の根本間題をいかに解決したでしょうか。

    金正日総書記は次のように述べています。

    「チュチェ思想は人間を本位にして哲学の根本問題を提起し、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するという哲学的原理を明らかにしました。」

    チュチェ思想は人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定することを解明することにより、チュチェ哲学の根本問題にもっとも正しい解答を与えています。

    人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというのは、チュチェ思想が明らかにした哲学的原理であります。

    一般的に原理は、事物現象の本質とその変化発展の道理を解明したものであります。すべての科学には一定の原理があり、哲学でもさまざまな原理が取り扱われています。哲学で取り扱われるさまざまな原理の基礎におかれる原理を哲学の根本原理といいます。

    チュチェ思想は、人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するという原理に基づいて全般体系と内容が展開されています。それゆえ、この原理をチュチェ哲学の基本原理、または根本原理といいます。

    人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというチュチェ思想の哲学的原理は、世界と人間との相互関係問題について二つの面から解答を与えています。

    その一つは人間があらゆるものの主人ということであり、もう一つは人間がすべてを決定するということであります。

    ではこの原理の二つの側面について具体的にみましょう。

    まず、人間があらゆるものの主人であるということについてお話しいたします。

    人々は、日常生活で「主人」という言葉をいろいろの意味で使っています。

    物の持ち主を主人といったり、仕事を主管する人を主人といったりします。

    また搾取社会において奴隷や作男は上司を主人と呼び、民族によっては家庭内で妻が夫を主人とも言います。

    これをみると主人という言葉は所有関係、身分関係、家族関係をはじめ社会関係の諸関係を表わす非常に幅広い意味をもつ言葉であるといえます。

    しかしチュチェ思想における、人間はあらゆるものの主人であるというときの主人という言葉は、このような一般的な用語ではありません。

    チュチェ思想で使われている主人という言葉は、人間と周囲世界との関係における人間の地位、世界の主人としての人間の地位を表わす哲学的概念であります。

    では、人間があらゆるものの主人であるというのは、何を意味するものでしょうか。

    金正日総書記は次のように述べています。

    「人間があらゆるものの主人であるというのは、人間が世界と自己の運命の主人であることを意味し、人間がすべてを決定するというのは、人間が世界を改造し自己の運命を開くうえで決定的な役割を果たすことを意味します。」

    人間があらゆるものの主人であるというのは、人間が世界と自己の運命の主人であるということです。これは世界の主人、自己の運命の主人としての人間の地位を示したものであります。すなわち人間が周囲世界に束縛されて生きるのではなく、自己の自主的要求と意思にしたがって世界を支配しながら生きる存在であることを意味します。

    周知のように世界には多様な物質的存在があります。そこには生命を持ったものもあれば、生命を持たないものもあり、生命を持たないものは除いて、生命を持つ動植物だけでも数え切れないほどであります。世界には多種多様な物質的存在がありますが、周囲世界を支配しながら生きる存在は-つもありません。

    草原の「帝王」と呼ばれるライオンや海の「猛魚」と呼ばれる鮫も、周囲世界を支配しながら生きる存在ではありません。ライオンがいくら他の動物を気ままにとって食べるとしても、それはあくまでも与えられた環境に順応しながら生きる存在であって、周囲世界を支配する存在ではありません。つまり、ライオンが海の中で生きられず、鮫が陸上で生きられないように、自然界で発達したという動物もただ与えられた環境に順応しながら生きる存在であります。

    人間は物質世界発展の最高産物として周囲世界に従属して生きるのではなく、それを自己の意思と要求に合わせて支配しながら生きていきます。

    人間以外に世界を支配しながら生きる存在は世界にありません。世界を自己の意思と要求に合わせて支配しながら生きる存在は、もっぱら人間だけであります。

    世界の主人としての人間の地位は、歴史的過程を通じてたえず高まります。歴史発展の-定の段階において、人間が世界を一挙に全部を支配することはできません。各世代の人々の世界を支配する範囲と領域には、一定の限界があります。人間は世代に世代をついで絶えず引き続く闘争を通して、世界を支配していきます。周囲世界に拘束されるのではなく、それを自己の意思と要求に合わせて支配しながら生き、代をついで世界にたいする支配を絶えず広める存在であるという意味で、人間を世界の主人であるというのであります。

    人間が世界の主人であるというのはすなわち、人間が自己の運命の主人であることを意味します。人間が世界の主人であるだけに、人間によって支配される周囲世界が人間の運命の主人にはなりえません。人間の運命の主人はひたすら人間自身であります。

    では次は、チュチェ思想の哲学的原理のもう-つの側面である人間がすべてを決定することについてみましよう。

    人間があらゆるものの主人であるというのが、世界における人間の地位を明らかにしたものであるならば、人間がすべてを決定するというのは、世界の変化発展における人間の役割を解明したものであります。

    では、人間がすべてを決定するというのは何を意味するでしようか。

    それは一言で、人間が世界を改造し、自己の運命を切り開くうえで決定的な役割を果たすことを意味します。

    事物現象の変化発展には、色々な要因が作用します。ところがそのさまざまな要因の事物現象の変化発展における役割は同じものではありません。そのうちには当該の事物現象の変化発展に決定的な作用をする要因があれば、そうでない要因もあります。

    世界の改造発展から見ても同様であるといえます。

    自然を改造するためには物質的技術的手段が必要であります。干潟地を開墾するためには掘削機やクレーン、鋼材やセメントなどが必要です。原始人が狩りをしたり山の実を採るにも幼稚な道具が必要であったのに、ましてや海を塞き止めて土地を広める大自然改造活動を素手ではとうていできないのです。

    これは自然を改造するにあたって物質的技術的手段は、不可欠の要素であることを示しています。

    このように物質的技術的手段は自然を改造するうえで大きな役割を果たします。しかし自然を改造するにあたって決定的な役割を果たすのは、あくまでも人間であります。物質的技術的手段が果たす役割がいくら大きいといってもそれは、人間の果たす役割には比べようもありません。

    科学技術が発展し、コンピューターやロボットなど先端技術手段が出現して工場のオートメー化、無人化が実現されつつある今日、少なからぬブルジョァ御用学者たちは、人間がこの近代的な技術手段によって職を奪われ、無力な存在に転落するようになったと、でたらめをいっています。

    しかし人間の仕事の多くを近代的技術手段が代わってくれるにしても、それは人間が無能な存在になったという根拠にはなりません。

    近代的技術手段こそ、人間の尽きない創造力と世界の改造における人間の決定的な役割を示すものであります。

    要するに、コンピューターが生産工程を自動調整し、またロボットが-瞬に自動車を作り出してもそれは、あくまでも人間の作った命令、ソフトウェアーがあって可能なものであります。

    それゆえ、人間に代わる最先端技術手段がいくら多く動員されるとしても、世界を改造するうえで決定的な役割を果たすのは、あくまでも人間であります。

    世界の改造変革に物質的手段がいかに作用し、それがいかに大きな威力を発揮するかということは、人間によって左右されます。

    人間は世界を改造する歴史的過程を通じて自らの力と知恵を培い、周囲世界をより高い水準で絶えず改造し発展させていきます。このような意味で、人間が世界の改造発展において決定的な役割を果たすというのであります。

    人間は自己の運命を切り開くうえでも決定的な役割を果たします。人間が世界の改造発展において決定的な役割を果たすというのはすなわち、自己の運命を切り開くうえで決走的な役割を果たすことを意味します。人間の運命は世界を改造し変化させる過程を通じて切り開かれ、世界の改造発展において人間が決定的な役割を果たすため、世界には人間の運命を決定するいかなる存在もありえません。人間自身がいかに積極的に世界を改造し変革するかによって、その運命が決定されます。          

    人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというチュチェ思想の哲学的原理は、最も科学的で革命的な哲学的原理であります。

    チュチェ哲学の根本原理は、人間が生きている現実世界を正しく反映したもっとも科学的な哲学的原理であります。

    現実世界で人間は唯-な支配者であり、世界は人間によってより立派に改造されつつあります。人間と世界との相互作用過程には、人間が周囲世界に与える作用とともに周囲世界が人間に及ぼす影響もあります。ここで基本は人間が周囲世界に与える主動的な作用であります。人間の主動的な作用によって周囲世界が人間に及ぽす不利な面が克服され、有利な条件と環境が積極的につくられて利用されながら、世界は人間によって改造され発展しています。人間は世界の唯一の支配者、改造者として世界で主人の地位を占め、世界発展において決定的な役割を果たしており、人間のこのような地位と役割はますます高まっています。このように人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するというチュチェ哲学の根本原理は、歴史の前進とともに世界の主人としての人間の地位と役割がますます高まっている現実世界を正しく反映しています。

    チュチェ思想の哲学的原理は、人間の運命開柘の道を直接的に明らかにする革命的な哲学的原理であります。

    運命という言葉がいつ生まれ使われはじめたかは分からないが、かつては、人間としてはどうしようもない「宿命」、「ほしまわり」という言葉と同じく理解されてきました。

    それでこれは科学の対象となりえず、ただ迷信と信仰でのみ議論されてきたのであります。

    チュチェ思想は、運命とは人間の境遇、生死存亡、発展展望と規定し、哲学の出発点からそれを人間の最も重要な問題として提起し、科学的な解答を与えています。

    チュチェ哲学の根本原理は、人間を基本にする原理であるため、人間の運命にたいする見解を含んでいるばかりでなく、人間の運命開拓の根本方途を明らかにしています。人間が自己の運命を自らの手中におさめ自主的、創造的に切り開いていかなければならないというのが、チュチェ哲学の根本原埋が明らかにしている人間の運命開拓の根本方途であります。

    チュチェ哲学の根本原理は、人間の運命にたいする見解、運命開拓の根本方途を明らかにすることにより、人間の運命開拓の広い道を開きました。ここに、チュチェ哲学の根本原理が人間、人民大衆に真に奉仕する革命的な根本原理となる根拠があります。

    人類の歴史は人民大衆の運命開拓の歴史であるといえます。

    人間は過去と同様にこれからも、自らの創造的労働で自然を征服し絶えまない革命闘争で社会を改造しながら、自己の運命を成功裏に切り開いていくでしょう。